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2011年01月24日22:56

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よーく考えよ〜♪オカネは大事だよ〜♪ 映画【ソーシャル・ネットワーク】再考

映画、『ソーシャル・ネットワーク』について、結構、考えてます。
思うに、この作品は、SNSのことを描いているようで、それは、あくまでも物語の舞台装置に過ぎなくて、本質的には、人間関係とか人脈とか、金の切れ目が縁の切れ目とか、そういう事を題材にした、青年の成長物語であるのでしょう。

だから、タイトルが、『ソーシャル・ネットワーキング・サービス』でも、『SNS』でもなくて、『ソーシャル・ネットワーク』なんでしょうね。
(社会的ネットワークという直訳こそ、この映画の本質を示している)


さて、前の日記のコメント欄でも書いた事ですが、あらためて、この作品の構造とオハナシのオチについて、思うところを再編集しアップし直します。
強烈なネタバレというか、作品のテーマはまさにここだと思う点について言及しますので、まだ、観てない方はスルーでお願いします。













この作品の登場人物達は、やたらと、独創性に拘っていますが、ワタクシは、実のところ、ネットワーク自身に関わる発明や発展において、既に、誰か特定の個人が突出して独創的というのはあり得ないのではないか?
と思っています。

ネットワークにおける知的創造って、何がオリジナルなんでしょう。
ググれば何でも出てくるし、サイトの構造等は、ソースを表示することで覗く事ができます。
結局は、既存の構造物や他人の意見のナカから自分に最もあうものを借りてきて、アドオンしたり脚色したり変形させているだけではないでしょうか。


【大事なのは、『アイデアを思いつく』ことではなく、『いち早く先行してカタチにする』ということだ。】
作品中、このことを双子のパシリである青年が口にしています。
彼は、おそらくインド系だと思いますが、双子が、『言うだけタダ』なのに対して、彼は、自身も手を動かして何かを作り上げるタイプの人間でしょう。
だから、カタチにする事が大事だと言うのが、彼の口から出てくるのは、正解です。

対して、双子は、まさに資産家の鏡像ともいうべき存在で、投資によって稼ぐタイプの人間でしょう。
彼等のうちの1人が頑なに訴訟沙汰を拒んでいたのは、なにも紳士に振る舞うべしという信念ではなくて、騒ぎやスキャンダルによって、自身が投資する対象の資産価値が低下する事を避けたいからではなかったでしょうか。

作品中、社会階層や格差を匂わせる描写が散見される中、【自分が働いて稼ぐ人種】と【人に働かせて稼ぐ人種】という対立図式に単純化してみせたのは、非常に判りやすく的確な構成だと思います。


ところで、ワタクシの解釈のナカでは、本作品中に創造的な人物は登場していません。
ネットの夢を語る事で、マークに『創造性』を吹聴し、労せずして上澄みをガブガブ飲み干していた挙げ句、マークの唯一の親友を追い出して経営権までせしめたペテン師はいましたが。

ちなみに、ナップスターでの失敗経験こそが、彼にそれを可能にしたと思います。
彼は、かつて、マークと同様に、幼稚な破壊衝動からナップスターを作りましたが、結局、既存の仕組みをぶち壊しただけで、まともな利益を得る事はできず、新たなビジネスモデルとしては失敗に終っています。

彼は、自身の失敗経験を活かし、誰か、かつての自分と同じように、体制や既得権益に不満やコンプレックスを抱えたオタクを踊らせて、そこに投資することで労せず儲ける道を見つけたんだと思います。

まさに、彼は、マークの立ち位置から双子の立ち位置にスイッチしていったといえます。



当然ながら、ワタクシは、Facebookを創造的な産物とは思っていません。
Facebookが出来上がったのは、MySpace等よりも遅く、特に、独特でも、特殊でも、画期的でもないからです。
機能面で、Facebookを独創的とする特徴は、ありませんし、それを描写したシーンもありません。

かわりに、Facebookの持つ機能が、明らかに他のSNSと同等であることが、描かれています。
なんといっても、マークが、双子が作ろうとしたサイトを『出会い系』と揶揄しながら、彼が、Facebookに後付けで付け加えた『交際ステータス』によって、Facebook自身がはっきりと『出会い系』になってしまっているのですから。

唯一、Facebookを評価すべき点があるとすれば、もの凄い速度で広がり巨大になったこと。
Facebookの価値はこの巨大さ故であり、マークが作り出した機能的なユニークさによるものではありません。
むしろ、巨大にしていくプロセスの方がユニークだったといえるのであり、それは、全くもってプログラミングやサイトの構造の次元ではないでしょう。

それをサイトの表面上の些末なチガイやら、『クールかそうでないか』でしか論じる事ができないのは、リーゼントのカタチを自慢しあうガキの喧嘩みたいなものです。

そんなレベルの諍いが、学長に一蹴されるのは当然ですし、そんなものの思いつき云々で『6500万ドルよこせ』なんて、取り過ぎ。
銭ゲバですよ。
(最も、投資家の仕事として評価するなら100点満点以上かも)



なお、冒頭シーンでマークが指摘した『優秀な中で抜け出すこと』とは、『インターネットの中で、自身の存在価値を目立たせること』に繋がっています。
(Google検索の上位を狙う戦略を思い浮べるとよいかも…)
それは、『先行者利益』であり(この箇所を双子グループのパシリが言及)、なおかつ、『トップを走り続けること』でした(マークが言及)。

FaceBookが独創的だったから、そうなれたのか?というと、上述の通り、全く違うでしょう。


FaceBookが先行できたのは、マークの設計/開発の異常な速さによるものですが、FaceBookがトップをリードし続けられたのは、『サーバーが落ちなかったから』です。
拡大するシステムにあわせて、どんどん、サーバーを増強し続けたからです。
(電話越しに、『サーバーが落ちたらお終い』と、マークが逆ギレしてますよね。)

では、その無限とも思えるサーバー増強を支えたのはなんだったのか?

『お金』です。

しかも、FaceBookの設立当初に、そのお金を出していたのは『エドアルド』です。


マークが、好き勝手に暴れることができたのは、エドアルドがインターンで稼いだお金をタイミングよく投下していたからです。
彼は、一見、FaceBookの技術面では殆ど貢献せず、何もしていないように見えますが、システム運営の最も大事な部分を担っています。

マ:『サーバーがいるんだよ。』
エ:『必要なら、買いなよ。』(お金はなんとかするさ…)
マ:『もう、買っちゃった。』(お金あるし。)← 誰の金か全く意識していない

FaceBookの技術面を作ったのはマークかもしれません、でも、FaceBookの立ち上げ段階を支え、かつ、立たせ続けていたのは、間違いなくエドアルドの献身です。


お金も時間も気にせずに開発に没頭できたマークは、まるで子供です。
しかし、自由に遊んでいられるのは、支えてくれる資金あってのこと。
子供のマークには、そこが意識できていませんでした。


それどころか、新たなスポンサーから湯水のように資金を引っ張ってくる魔術師に心酔し、彼のいいなりになってしまった事が伺えます。

エドアルドに対し、株式増資の際の罠を仕掛けた黒幕は、おそらく、その魔術師です。
しかし、そんな、重大な経営事項は、マークの承認なしには実行できません。
だって、彼こそが、『CEO:最高経営責任者』だから。
彼の承認無く役員の解任とか新株の割当て変更等はできるはずがないのです。

おそらく、マークは、中身を読むこともなく、言われるがままに、重要書類にサインしてしまったに違いありません。

そんなことになったのも、自分の価値観の中での一番である事にしか興味がなく、他の価値観の存在を認めていなかったから。
端から見れば、プログラミング馬鹿の井の中の蛙に過ぎないのに、取り巻きにいいように持ち上げられてシステム開発に没頭し、本来果たすべき、CEOとしての経営判断を丸投げしてしまったのです。
(当初は、経営判断の部分も含めて、エドアルドがCFOとしてサポートしていた筈…)


訴訟沙汰を振り返ることで、彼は、自身のしでかした取り返しのつかない失態に気づいていったと思います。


調停シーンの当初は、マークは、ラフなパーカー/トレーナー姿でしたが、ラストシーンでは、彼は、まがりなりにもネクタイを締めてます。
突っ走ってた時期の彼は、見た目なんて気にしないどころか、明らかに既存の価値観に敵意をむき出しにしていたのに、自身の身の回りに起きた事象の振り返りをすることで、ちゃんと、他人に合わせて、柔軟な対応をする術を身につけていったのでしょう。


莫大なお金と引き換えに友を失ったマーク。
しかし、成長するということは、何かを失うことに他なりません。

そういう意味で、彼はオトナになっていったのだと思います。


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