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2010年10月27日06:35

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「新約聖書 訳と註3 マルコ福音書・マタイ福音書」

 図書館本「新約聖書 訳と註3 マルコ福音書・マタイ福音書」を読了。日本屈指の聖書学者・田川氏が、「出す」「出す」と言っていてなかなか出さなかったけど、やっと出した新約聖書の注釈付き翻訳。


 「口語訳」と「新共同訳」を高く評価しながら(それ以外の翻訳はカス扱い)、現在のキリスト教の教義に都合の良い翻訳になっている(例えば、
   ・4福音書は同じことを言っているハズだ、
   ・少なくとも共感福音書はそうだ、
という思いこみ)点、あるいは
   ・曖昧な点を教義や他の福音書・書簡から補完してしまっている
点などに不満を持った著者(訳者)が、古代文書である新約聖書を、各文書成立直後の姿で、可能な限り正確に現代日本語に置き換えた本。


 翻訳方針は
   ・原文で曖昧な文は曖昧に、
   ・たどたどしい文はたどたどしく、
   ・多様な意味に受け取れる文(ギリシャ語原文)は
    多様な意味に受け取れる日本語に、
   ・分かり難い文章は分かり難い文章に、
   ・時制不一致など文法上の誤り、あるいは事実関係の誤り
    などは、誤ったままに、
   ・新約聖書の各文書をそれぞれ独立に(つまり、内容の
    一致を前提としないで)
   ・同じ単語は極力同じ単語に、異なる単語は同じような
    意味でも極力別の単語に
   ・極力文体や各著者の思想や息づかいを活かして
訳す、というもの(上記方針は私が意訳しました)。


 同じ著者に「書物としての新約聖書」という本があるけど、こちらは「古文書としての新約聖書」という趣。さながら語学書・古文書解読書のよう。膨大な注釈が付いているけど、神学的内容はほとんどなく、語学書的な註が主。


 と言うワケで、普通のクリスチャンの方にはまったく向いていません。分かり難いし、現代キリスト教の教義に合わせていないから。

 ただ、
   ・私のように初期キリスト教に興味がある古代史ファン
   ・神学を学んでいる人
   ・聖書の個人訳を目指す人、
などにはとっても面白く読めると思う。特に、今後、新約聖書について研究や翻訳する人は、田川神学に賛成する・反対するにかかわらず、ネストレ並に必読でしょう(田川氏は口が悪いし、従来の、特にプロテスタントの多くが影響を受けているドイツ系神学に強く批判的なので、敵が多いらしい)。

  # ちなみに、田川節というかあちこちで傲慢に他人の訳を批判してる著者、
  #自分の過去のミスや意見が変化した点については、こまめに「すみません」
  #と謝ってるのが面白い。



 本書は、そのうち「マルコ」と「マタイ」の2福音書を載せている。上記のように原著者(マルコとマタイ)の息づかいが残っているせいか、ナニが言いたいのか分かり難いくせに、イエスが生き生きとしている。両者の雰囲気の違いがハッキリ分かって興味深い。


 マルコの描くイエスは、素朴で、それでいて力強く、喩えて言うなら戦場カメラマンの渡部陽一さんに演じさせたイエスみたい。

 病癒しの奇跡が多く、説教が比較的少なく、イエスのキリスト性については控え目な表現で、十二使徒にはやや批判的。

 著者は、ペテロの通訳で後に喧嘩別れした人物(使徒行伝12-12,25、13-13、15-37,38、のマルコ)と見て矛盾はない、根拠もないらしいけど(なお、通説は否定的)。アラム語ネイティブのユダヤに住むユダヤ人で、ギリシャ語が下手っぴ。


 マタイの描くイエスは、神々しく、権威と威厳に満ちいかにも宗教家で、喩えて言うと阿倍寛さんか渡辺謙さんに演じさせたイエスみたい。

 奇跡の話は病癒しに偏らず、説教も多い。旧約の預言の成就を説き、イエスがキリストだと何度も強調し、十二使徒まで神々しく描く。

 著者はギリシャ語ネイティブでユダヤ以外に住むディアスポラのユダヤ人だと思われ、ギリシャ語が上手な代わりにユダヤの事情を良く分かってない。それで、マルコでは分かり難かった箇所あちこちに、マタイは解説を付け加えてるけど、イエス存命当時のユダヤの習慣や他の福音書の内容からすると不自然なので、誤った解説も多いと思われるそうな。



 以下、メモ。
●マルコによる福音書
・マルコは、ほぼ唯一にして最初のイエス伝(他の福音書は宗教物語)。
・マルコ成立はAD50年〜60年代末。通説では60年代後半だが根拠は無い。
・マルコでの受難物語(14,15章)は、マルコ以前からほぼこの形で伝承されて
 いたのをマルコが取り入れ自分の文章で書き直したと思われる。但しマルコは
 あまり重視していない。生きたイエスの活動に重点を置いている。
・マルコでの復活物語(16-9以降)は後世の創作、というのが通説。なので
 新共同訳聖書でも[ ]にくくられている。
・「人の子」と言う表現は、部分的に「人間一般」の意味で用いられることもある
・「らくだ」(10-25)は綱の誤訳でなく「らくだ」の意味である可能性が高い。
・ホサナはヘブライ語で「我らを救いたまえ」の意。
・イチジクの奇跡(11-13〜14)。地名「ベトパゲ」は「いちじくの家」という
 意味なのでイエスのジョークだった可能性もある?それが後世、奇跡話に化
 けたのかも?
・16-3。岩をどけてくれる人がいないのに墓参りに行くのは不自然なので、
 大きな省略か改変があるか、そもそも作り話である可能性がある。


●マタイによる福音書
・著者不明。使徒ではないことは確か。ユダヤ教の知識豊富なので改宗者か。
・マタイはイエスの誕生と復活を描き足した。他にもマルコを書き換え、局所的に
 は意味が正反対になっている部分もある
・マタイは伝記でなく教会での説教用の福音書だと思われる。
・Q資料は実体不明。1冊の本だった保障はない。たぶん違う。複数の文書?
・マタイ成立はマルコ成立の20年位後〜AD100年。80〜90の可能性大。
・マタイは旧約を七十人訳でしか読んでいないので、アラム語やヘブライ語は読め
 ない人。
・冒頭の系図には一部誤りがある。
・11-2はマタイの誤解。この時期はまだ洗礼ヨハネは逮捕されてない。
・マタイの意識にはユダヤ人中心主義が残る(15-24。マタイのオリジナル)。
・後世のキリスト教界は、マタイを基本として他の福音書を解釈した。


●その他
・パウロは、イエス本人を知らず、幻で見たイエスだけに基づいて活動してる。
・「アメーン」ギリシャ語。ヘブライ語やアラム語では「アーメーン」。意味は
 「そうなりますように」。アクセントは「メ」にある。イエスの口癖。
・イエスはアラム語原音では「イェーシュー」。意味は「救いに関わる者、救う
 者」だが、深い意味はなく、当時ありふれていた名前。
・ヨハネ書。思想は特異だが、部分的、特にイエス逮捕から十字架にかかるまでの
 事実関係は、マルコやマタイよりも正確だと思われる。
・ギリシャ語の「アオリスト aorist 型」(完了か未完了か限定しない型)が、
 英語には存在しないため、英訳聖書、およびそれを元にした邦訳聖書の誤訳の
 一因になっている。
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