ある日、モグラ君は気持ちのいい漆黒の穴ぐらの中でウトウトしておりました。
そこに神様が現れました。モグラの神様です。
「あれ、夢見てるのかな?」
「いや、これは夢じゃない、ワシは本物の神様じゃよ」
モグラの神様は、やっぱりモグラの格好をしています。でも確かに神々しく、夢でなければ本物かもしれません。
「何か御用ですか?」
「うむ。モグラ君は最近なかなか頑張ってるからして、一つ悩み事でもあれば解決してあげようかと、そう思ってな」
「はあ、それはまたどうもありがとうございます。悩み、悩みねえ。」
「無いかな? 悩みのないモグラってのも珍しいが」
「うーん、そうですねえ。僕はあんまり自分ってものをリアルに感じてないのです。だからあんまり悩みってないのかもしれません」
「ほう、リアルでないとな。それはどういう感覚じゃ?」
「悩みってのは、つまり望みがあるわけですよね。望みがあって、それがかなわないから悩みなわけですよ。」
「ふむなるほど」
「例えばですね。人生ゲームをしたとしましょうよ。ゲーム内でお金を稼ぎます。嬉しいですか?」
「まあ嬉しいんじゃないのか?」
「ええ、嬉しくなくはないです。でも、所詮ゲームのお金ですよね。別に、だからなんだってこともない。」
「そりゃそうじゃな。」
「ゲーム内には目標がありますね。ゴールだとか、他人に勝つとか」
「ふむ」
「でも、ゲームだからそれを達成できなくても、なんの問題もない。勝ちを譲ったって、なんにも痛くないし、お金をばらまいても全然辛くない。」
「まあゲームだからな」
「そういう感覚です。僕はこのモグラ人生が本当のものだとはどうしても思えないんです。リアルに感じられない。」
「ふーむ」
「だから、勝とうとも思わないし、そもそも何が勝ちなのかもわからないし、お金を大事にも思わないし、長生きに意味があるとも思わない。」
「なるほど」
「そうなってくると、目的がないから望みもない。と、そこには悩みもないわけです」
「ふーむ、なるほどな。なかなか面倒な性格じゃな。不足してるものはないのか?」
「そりゃありますよ。標準のモグラと比べても、僕は劣等生です。平均以下ですよ。掘るのは下手だし、身体が強いわけでもない。女の子にはもてないし、特技があるわけでもない。不足だらけです。」
「でもそれは悩みじゃないんだ。」
「まあそうですね。どうでもいいことですから」
「それ自体が悩みじゃないのか? つまり、目的が持てなくて、リアルな人生が送れない、ということが」
「そういう言い方をするなら、それはそうです。僕だってリアルな人生を送りたいし、得るものを得れば満足だってしたい。望みがないから、僕は満足というものも知らないのです。」
「なんでリアルじゃないんじゃろうなあ。何か信じるものとかないのか?」
「無いですねえ。若い頃はこれでもけっこう真面目に考えたんですが、信じられるものなど何一つなかったですね。もちろん神様ってものも含めて」
「面と向かってわりと失礼なことを言うな。何一つ信じられないのか?」
「そう、二つだけですね。一つは自同律。AはAである、ってこと」
「ふむ」
「もう一つは唯我論です。思っている私というものは、確かに存在する」
「なるほど」
「でも、それは何にも結び付かないです。それを基に何かを信じる、ってことはできないですからね。」
「たしかにそれはそうかもな」
「だから僕は信じざる者として暮らしていますよ」
「ビリーバーじゃないんじゃ」
「そうですね。信じてないんですから。これはほんとに、やる気の出ない事この上ない生き方ですよ」
「そりゃそうじゃろうなあ。望みがなくて悩みがなければ、生きる意味なんてないようなもんじゃからな」
「まさにそうですね。生きる意味がないのです。それが悩みと言えば悩みですね。」
「じゃあ聞くがの、お前には感情ってものはないのか?」
「何を言うんですか。もちろんありますよ。毎日喜んだり悲しんだりして暮らしてますよ」
「じゃ、それを信じればいいじゃないか。嬉しいことはうれしいじゃろうが。喜びを積み重ねて生きていけばいい」
「感情だって、信じられるものじゃないでしょう。例えば、他のモグラをいじめるのが楽しいとして、そんなことしていいんですか?」
「ええじゃないか別に。お前は何も信じておらん。他のモグラの存在だって信じておらんのだろう?」
「そうですねえ。たしかに」
「所詮ゲームの中なら、何をしたっていいじゃないか。ちがうかね?」
「神様のわりに言うことが過激だなあ。それはまあそうですけど、でもそんな事をしても実際には楽しくないですからね」
「そうじゃろ? つまり、実際お前が喜ぶことをして、それで他のモグラに迷惑がかかるってことなんて無いんじゃ。もちろん他のモグラが仮に存在したとしても、の話じゃが。」
「なるほど」
「お前自身が嬉しいことをすれば、それはそのまま、ただお前が嬉しいってだけのことじゃ。善悪は関係ない。善悪なんてものも信じておらんのじゃろ?」
「そうですね。そういう基準になるものは、僕の中にはないです。信じられるものではないですね」
「善悪や、すべきこと、意味、そういうものがなくても、好悪だけはある。そういう場合、その好悪だけを基準に生きていいんじゃ」
「そうなんですか?」
「もちろん、普通のモグラにはそんな事は言わん。ほとんどのモグラはリアルに生きておるからの。つまり望みもあれば悩みもある。善悪の基準だってしっかり持っておる。そういうモグラはそうして生きて行くしかない。しかしお前は違う。」
「はぁ」
「お前は異端じゃよ。社会性に欠けるんじゃ。他のモグラと同じことを信じられないんじゃから。」
「そうですね」
「皆、多かれ少なかれ基準を揃えて暮らしておる。お前はその基準を守らない。守るべきだと思わない。なのに他のモグラなしには生きてはいけん。モグラ社会を外れては暮らして行けないからの。」
「たしかに。一人荒野に生きることはできないですね」
「そうじゃろ。異端というものは矛盾しておるのじゃ。社会性はないのに、社会を離れられない。だがの、基準というのは一つではない。
お前はもっと、好悪を基準に生きていいんじゃよ。それは善悪の基準とは違う。違うが、劣っているというものではない。もちろん優れているという訳でもないが。」
「そうなんですか?」
「嫌なことを避け、喜びを求め、善悪を気にせず、ただ自分の望みのままに。そうやって生きることができるのは、そう沢山はおらん。おっても困るが。だが、お前はそうしてもよいよ。」
「みんながそうしたら困るでしょうね。」
「そりゃそうじゃな。強姦とか強盗とか、増えるじゃろうな。だがお前はそういうものを喜ばない。それはお前に望みがないから。」
「なるほど」
「望み目的のない、生きる意味を見いだせない者は、感情を基準に生きて良い、それを基準に生きるしかないんじゃ」
「ふーむ」
「信じられんか?」
「まあ、、、ありていに言ってそうですね。そもそも信じない神様に言われたからって、なるほどそうかっていう訳にもね。。。」
「ほっほっほっ。まあそうじゃろうな。だがまあ、損もあるまい。しばらく好悪を基準に生きてみたらどうじゃ? 生きる喜びは、生きる意味を産むぞ。」
「そうなったらいいですねえ。僕もいつかは満足というものを知りたいです。」
「そうじゃろ。喜びを求め、それを得て、そして、それを得ていいのだと納得する。そうすれば、満足というものは得られるのじゃ。」
「なるほど。まあ、こう言っちゃなんですが、たしかにやってみて損はない。しばらくそうやって生きてみることにします。ありがとう神様。」
「ほっほっほっ。悩み一つ解決じゃの。これで今月のノルマ達成じゃ…」
「え?何ですか?」
「なんでもない、こっちの話じゃ。じゃあ楽しく生きるようにの」
「はい、ありがとうございます。神様。」
モグラ君は気付いているのでしょうか。喜びには悲しみが、満足には不満がセットになっていることに。
喜びを感じるためには、悲しみを感じることもまた必要になってくるのです。
今まで安寧に生きてきたモグラ君に、その悲しみに耐える能力があるのか、それはまだ分かりません。。。
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