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2010年07月19日11:12

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◎ 大好きな「星の王子さま」のPAですって。

◎ 『星の王子さま』をイメージしたパーキングエリア
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1280363&media_id=58

これはいいですね。
行ってみたいけど、関東だからなぁ。

でもこういうことすれば人が集まるってことだから、他の業種の方も同じような発想でがんばればいけるのかなと思いますね。自分含めて・・・。

(・_・。)) マイッタナァ

正確には、「星の王子さま」が好きじゃなくって、これを引用したかまやつひろしさんの「子供の世界にもどりたい!」というエッセイが好きなんですけど。
ぼくは絵を描いている子供が好きだ。
一心不乱ということばが、ぴったりである。わき目もふらずに、無心に、クレヨンを動かす。
「なに、かいているの?」
「イヌだ」
話しかけられたということが迷惑でたまらない、というように、ブキッラ棒に答える。犬の絵ねえ、でも、犬には似ていないんだなあ。ネズミ、にみえる。ネコのようでもある。ヒツジにも似ている。
「なんだか、イヌじゃないみたいだ」
そんなことをつぶやこうものなら、子供はすぐに聞きとがめる。そしてムキになる。
「イヌじゃないかあ。イヌにきまってるじゃんかあ」

サン・テグジュペリの「星の王子」さまにこれと似たような話しがある。
帽子のような絵がある。
おとなは皆、帽子だという。でも、王子さまは「これは象を飲み込んだウワバミだ」といってゆずらない。
ぼくは絵の描き方や見方に、おとなと子供の決定的な差があると思う。
おとなは、いやらしいと、ぼくは思うのだ。おとなは、いろいろな経験をし、いろいろなものをみ、なんでも知っている。そして自分の知っていることだけが、絶対だと思い込んでいる。
おとなにとって、イヌとは、耳がぴんと立っていて(あるいは垂れていて)よだれを流していて、シッポがあり、ワンと鳴く動物である。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、子供にとってのイヌは、もっと夢のある動物なのだ。自分がママに叱られて、庭に追い出されれば、「おい坊ちゃん、オレの犬小屋で、いっしょに寝ようよ」とイヌが語りかけてくるものと信じている。イヌの鳴き声を聞く。
「ママ、ジョンがおなか痛いって、いってるよ」
と、心が動くのが、子供なのだ。おとなは、こんな豊かな想像力を、とうの昔に失ってしまっている。
子供が絵を描いているときのひとり言を聞いていれば想像の広がりがよくわかる。
「これパパでしょ。パパは悪魔をエイッて、やっつけたの。悪魔は泣きながらお山へ逃げていったんだよ。ミコがお人形を抱いて遊園地へいったら、こんなに高い天までとどくメリーゴーランドがあって、それを登っていったら、鳥さんが飛んできて“ミコちゃん、いいところへ連れていってあげましょう”っていったの・・・・・・」
さぞ、すごい絵だろうと思ってのぞきこむと、なんのことはない、塗りつぶした大小三つの丸と、棒が一本描いてあるだけだ。
三つの丸、棒が一本、としか見えないのが悲しいかな、おとななのである。

「物語り」ということばがある。
おとなはこれをストーリーという。物語りを、単なるストーリーにしてしまうのがまさに、おとな的発想だ。
物語り、は、子供にとって「物」が「語る」ことなのである。
空が語る。
山や、海が語る。
花も、動物も、家具もみんな子供たちには語りかけているのだ。
でも、おとなには、わからない。人間以外のことばはわからなくなってしまっている。
そのくせ、京都の竜安寺へいって「石庭に向かって、30分座っていたら、石がオレに語りかけてきた」なんて、平然とのたまう。悲しいよ、おとなは。

「イエロー・サブマリン」という、ビートルズ主演の素敵な映画があった。
音楽がよかった。
アニメーションの色彩が美しかった。そして、ビートルズの四人が、ブルーランド島に住むイジワル族を退治する、という筋が、たいへん楽しかった。イジワル族というのは、色はブルー一色しか認めず、音楽好きの人をすべて罪人にしてしまう種族である。結局は、メデタシメデタシとなるのだけれど、あの映画には、ビートルズの愛の思想がはっきりと現れていた。
ぼくはいくつになっても子供でいたい。そして、いつまでも「イエロー・サブマリン」に乗って、夢の世界をただよっていたいのである。
ちょっと長かったけど、大好きなんです。


では!!!
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