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2010年07月13日23:15

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厳しいけど乗り越えるしかない?

楽天・三木谷氏「英語がダメならクビ」で大論争
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1274266&media_id=29

<楽天の三木谷社長は「2年後に英語ができない執行役員はみんなクビです」と発言し、これがネット上でも大きな論議を呼んでおり、著名なブログでのエントリーが乱立している。>のだそうである。

<「英語ができるだけで仕事はまったくできない人間が跋扈(ばっこ)するようになるのだ」(『Web屋のネタ帳』)>というのは、ここでいうところの「感情的」な反対意見なんだろう。

三木谷社長は、「英語もできて、仕事もできる人間」を求めているんだろう。英語だけできる人間で可であれば、帰国子女を大量採用すれば済む話だが、そんな単純な問題ではないはずである。

<「その発想自体は決して間違ってるとは思わないが、英語が出来たら世界的な企業になれるというのはあまりに安直で短絡的でバカバカしいと思わざるをえない。」(『人は働く機械ではない』)>というのも同様に「感情的」な反対意見なんだろう。

でも英語が世界語であることによる、英米人のアドバンテージは否定できないくらいに大きい。
ひとことでいえば、「調達」・「販売」両面に於て、世界が市場になるのである。

「調達」面とは、人材の調達も含めての話である。英語が社内公用語であれば、優秀な人材を世界中から集めてくることが可能になる。日本国内だけで採用活動をちまちまとやる必要はないのだ。「ゆとり教育」世代の基礎学力のない大学生だけを「採用市場」だと考えていたら、企業も日本国と共倒れになってしまう。既に一部の企業はそういう危機感を持っているに違いない。「楽天」も「ユニクロ」もそこに含まれるのであろう。

「販売」面とは、文字どおりに世界を相手に商売ができるということだ。既に日本企業は世界を相手に永年戦ってきてはいるが、役員以下全員が英語を使って世界中の顧客とダイレクトにコミュニケーションが取れる態勢が当たり前となれば、当然に今まで以上に自分たちのお客さんを世界中に広げることが可能になる。

少しずれるが、日本の小説家の作品、たとえば村上春樹にしたって、大江健三郎にしたって、日本語のままでは読むことができるのは日本人だけ(及び日本語を勉強した少数の外国人)である。英語やその他主要言語に翻訳されてはじめて、彼らの作品は海外の人々の評価の対象となり得るのだ。日本語のままでは、海外の人々にとっては、「存在しないのと同じ」であり、もちろんノーベル賞の候補にだってなりようがないのだ。
ところが、たとえば「ハリー・ポッター」は書かれた途端に世界が市場になるのだ。

どう考えたって、英語と日本語では、英語に分があるに決まっている。
それを認めないで否定するのは、頭の悪い国粋主義者か、現実をありのままに見ることができない気の毒な人であろう。

本来であれば、「社内公用語」にとどまらず、日本の「準公用語」を英語にするべきだろうと思う。

僕らも含めて、日本語で教育を受けて、中年を過ぎるまで日本語で仕事をして生きてきたような世代はもう手遅れ気味である。
でも今からスタートして、10年か20年経てば、英語を器用に操れる「新日本人」世代が現れていると思う。なにごとも教育と仕組みが肝心である。サッカーだって、Jリーグ発足により各地にクラブチームが作られて、下部組織で若い頃からちゃんとした指導者の下で指導された世代が育ってきた以降とそれ以前とでは、日本のサッカー選手のレベルは確実に向上している。少し前までは、日本人にとってW杯なんてものは異次元世界の話だったのだ。
Jリーグにできたことは、英語でもできるはずである。ただしそのためには10年単位の時間が必要になる。

<「こんな時代にサラリーマンをしていなくてよかったなあ、と心底思う」(『内田樹の研究室』)>というのも、正直な感想である。実は僕もそう思う。

英語を使えるようになること、英語で世界の人と同じ土俵で戦うことの重要性は既に書いたとおりであり、日本人がこれから乗り越えていかなければならない高いハードルであると思うが、正直「しんどいなあ」と思ってしまう。さきほども書いたとおり、ドメスティックな世界で生きてきた中年以上の世代にとっては、今から英語を自由自在に操るレベルまでに到達するのは厳しいだろう。だから若い人に期待をかけるしかないのだ。
そういう意味で、今の若い人たちはタイヘンである。でも頑張ってもらうしかないとも思う。

ただし中年以上だって手放しで諦めるべきではないだろう。若い人に比べれば到達目標は低くならざるを得ないとしても、勉強するのに遅すぎるということはない。ボケ防止に語学の勉強はちょうど良いかも知れない。
それぞれの能力や適性に応じて目標設定をして、ボチボチと頑張れば、やっただけの成果は得られるであろう。

英語を「社内公用語」にすると唱えた途端に、これだけ怨嗟まじりの声があちこちで巻き起こるというのは、英語に「ルサンチマン」を抱いている人が依然として多いことの証左であろう。

でも「ルサンチマン」からは何も生まれないのだ。
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