やー、響いた響いた、「心に響いた名言集」。
足あとつけてくれた人んとこ行って見つけた、コミュニティ、野次馬根性でズラー、って見てたら、タケさん(ありがとう)、って人が図書館で見つけて紹介した、ってもの、ぜひご紹介したい。本文のみコピー&ペースト。
以下ネイティブ・アメリカンの古老、
オリア・マウンテン・ドリーマーの言葉より
『あなたが何で生計を立てていようと、わたしには興味がない。
知りたいのはむしろ、あなたが何で胸を痛めているか、そしてあこがれとの出会いを夢見る勇気を持っているかどうかだ。
あなたが何歳だろうと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえで、あえて愛を、夢を、生きるという冒険を求めるかどうかだ。
あなたの星座が何座だろうと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか、そして人生の裏切りによって心を開かれたのか、それとも縮みあがり、さらなる苦痛を恐れて心を閉ざしてしまったのかだ。
わたしの苦痛だろうと、あなたの苦痛だろうとかまわない。あなたが苦痛に耐えられるのかどうか、そして苦痛を隠したり、薄めたり、とりつくろったりするためにじたばたせずにいられるのかどうか知りたい。
わたしの喜びだろうと、あなたの喜びだろうとかまわない。あなたが喜びとともにいられるのかどうか知りたい。あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて、私達に用心せよとか、現実的になれとか、人間の限界を思い出せなどと警告せずにいられるのかどうか知りたい。
あなたの話していることがほんとうかどうか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが他人を落胆させることを恐れずに、自分に正直になれるのかどうか、そして裏切ったと非難されても耐え、自分自身の魂を裏切らずにいられるのかどうかだ。
あなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうか知りたい。きれいでない日常的なもののなかに美を見出すことができるのかどうか、そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたい。
あなたが失敗に耐え、湖の縁に立って銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたい。
あなたがどこに住んでいようと、どのくらい金をもっていようと、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、悲嘆と絶望の夜のあと、疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、それでも起き上がり、子供達のためにせねばならぬことえおなしうるのかどうかだ。
あなたが何者なのか、どうやってここに来たのか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、わたしと一緒に炎の中心に立ち、しり込みしないかどうかだ。
どこで、誰と一緒に、あなたが何を学んだか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、ほかのすべてが崩壊したとき、何があなたを内から支えるかだ。
ひとりぽっちで平気かどうか、そして孤独なときの自分をほんとうに好きかどうか知りたい。』
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