インドネシアに来てからつくづく思うのが最低限の教育が行き届いているかどうかで、基本的な常識がここまで違うのかと驚かされる。日本であれば「普通やらないよね?」とか「信じられない!」といった、一般常識を軸にした意見がよく聞かれる。
実は私、この言葉が大嫌いである。まぁつい意味なく口にしてしまう事は誰だってあるだろうが、真面目に考えるとつい「本気で言ってるのか!」って突っ込みいれたくなる。
あなたのその基準はどこで学んだものですか?どこまで通用する基準ですか?他人様にあてがって、判断ができる程、高性能な基準のモノサシをお持ちですか?と問いただしたくなる。
やはり人間というのは集団で生活する生き物であるので、コミュニュケーションの摩擦を減らす意味でも個人個人の判断基準が近いに越した事はないだろう。その中ではそのモノサシをあたかも友達と似た物を持ってる様に見せかけた方が仲良くしやすいので知らず知らずにそうしてしまってるのではないだろうか?
とりあえず私が言ってる事が正しい間違っているの基準はまずはさておき、私としては、その法則に乗らずに自分のコダワリのみで進める人間がカッコイイのである。そしてそれが原動力になる。
私の基準の中では、合理的より、安全より、平和より、何よりカッコイイが最優先にランクされる。が、そこが問題。
保守派よりは改革派がカッコイイ。なぁなぁよりは強引がカッコイイ。地味よりは派手がカッコイイ。日本車よりはアメ車がカッコイイ。ってな理屈。
常識よりは、非常識がカッコイイと思ってしまったら仕方ない。
いやいや、そうでは無く、そもそもマイノリティがカッコイイのだ。
パンク・暴走族・チーマー・ネオナチ・これらは一般大衆と差別化された自分が気持ちいいだけなのかも知れない。
まさに私を含めた我侭ジェネレーションはマイノリティ・マニアと言えよう。
白いカラス(アルビノ)がカッコイイ。
ピンクダイヤがカッコイイ。
タトゥーがカッコイイ。
パンクがカッコイイ。
なので大衆化されたパンクはすでにその時点でパンクではない。音楽的な要素はパンクミュージックとして評価できるがパンク魂(ソウル)はもうそこには無い。
その矛盾を乗り越えるべく、パンクバンドはメジャーになってもインディーズ時代と同じくマイノリティを目指して頑張っている。
基本的にパンク思想に「安定」なんて言葉はない。
パンクたるもの「〜〜してはダメですよ!」って事は率先してするべき。
でもそれじゃ、ただのアホガキと一緒になるか(笑
そこで、これに1個加えてみる。
「カッコイイこだわりを持っているかどうか?」
イギリス発祥のパンクも日本で様々な変化を遂げた。
今、バリ島で住んでいる私に言える事、それはまず己を知れ。
「パンク」にしろ「ヒップホップ」にしろ「ハードコア」にしろ「スラッシュメタル」にしろ「ジャズ」にしろ、音楽は表現の仕方の一つにすぎないが、内面を探るには最高の媒体ではなかろうか?
故に「音楽とは何か?」の質問は「己の信念を述べよ」と同意義語であろう。
言葉とはクチから離れた瞬間から責任が生じる。
世の中のはゴメンじゃすまない事が山ほどある事を知れ!!っと。ハンマーが振り下ろされる瞬間は必ずやってくる。
それを知るにはまず自分も相手を知らないといけない。
優しい心を共に持ち、分かち合える努力を誰にでもしよう。
自分だけを特別視してかわいがらずに他人も自分と思おう。
常識が視野を狭くしているは明らか。
そんな下らん盾は捨てて本当に自分がしたい事・生まれてきた意味をまず探そう。
自が死ぬまでに子供に何を伝える事ができるのかを考えろ。
それが教育につながる。
学校の勉強に何の意味がなくったとしても、将来、頭を使わないといけない日がいずれくる。それは教育全てが、その日その瞬間の為だけの長すぎるトレーニングだとしても、おかしくない人生の選択の瞬間のはず。それを自分の子供に孫に伝えよう。そこには自分に生きてきた価値が見出せるはず。
そして誰からも尊敬される事なくても、自分がカッコイイと思う道を進もう。
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