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2007年10月23日04:30

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ププタン広場

マイミクのINOさんがちょっと前に取り上げた話題。コミュでも取り上げた実話で、今回、日記にも取り上げようと思いました。

インドネシアのバリ島のレノンという地区に「ププタン広場」という市民の憩いの広場があります。この広場は恋人や家族連れでのんびり過ごす人がたくさんいます。日本人からすれば「ププタン」という言葉はなんとも愛くるしい感じを受けますが、実際は、この言葉は「玉砕」といったような重い言葉なんです。なんで「玉砕広場」なんて重々しいネーミングなのだろうかと思い、歴史を紐解いてみました。



今から約100年前の1906年の9月20日の出来事です。当時、オランダ軍は植民地政策の基に、東南アジアを破竹の勢いで侵攻していました。侵略する事を正義と信じたオランダ軍の進軍はとどまる事を知らず、ジャワ島のみならず、その手はやがてバリ島にも及ぶ事となりました。そしてまさに9月20日・・・。

とうとうバリのバドゥン王宮は銃器を手にした多数のオランダ兵に取り囲まれてしまいました。状況は多勢の不勢。どう考えても勝てる見込みはありませんでした。



しかし、その時です。宮殿から金銀、宝石をちりばめた最上級の正装を身にまとった高貴な一団が現れました。それは戦争とは全く関係のない厳かな姿だったそうです。


彼らは音楽を打ち鳴らし、王族を先頭に、次は女が列を作り、最後は子供まで、煌びやかな民族衣装を誇り高く纏い、それぞれがクリスと呼ばれる聖なる短剣を手に持ち、勇敢かつ優雅に楽器を奏でながら、ゆっくりと行進しながら現れたのです。


当然オランダ兵は「止まれ!!」と命じます。


しかし聖なる行進は止むことは無くガムランと呼ばれる聖なる音楽は広場に鳴り響きます。
高らかに威厳を保ち、堂々と。


この異様な光景を目の当たりにして、恐怖に駆られたオランダ人が次々と行進に向って発砲しました。



何の抵抗もなく倒れていく宮殿の王族達。そしてその屍を乗り越えては倒れる兵士達。さらにその上に積み重なるように倒れていく女、子供。死にきれない同族に聖なる短剣で止めを刺し、行進は、累々と屍の山を築きながら進んでいきます。そして最後の1人になるまで子供も聖剣を手にオランダ軍めがけ行進をやめなかったそうです。



やがて音楽が鳴り止んだとき、そこには約4000の死体がありました。
ちなみにオランダ軍の死者はわずか1名だったそうです。
事実上これよりオランダのバリ島支配が始まったようです。



僕は何を語ればいいのか分かりませんが、これがププタン広場で繰り広げられた惨劇の一部始終です。

この様子は「 バリ島物語 ヴィキイ・バウム 金窪勝郎訳 筑摩書房」に書かれています。
(参照:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480831729/)


この後、約350年間、オランダ人はインドネシアを植民地とし、インドネシア人を奴隷として扱いました。その植民地支配の終焉のきっかけは大東亜戦争で日本軍がインドネシアまで進軍させた事ではじまりました。日本軍はオランダ人のよる奴隷支配を非道いと思い、オランダ支配から開放させたかったようです。とはいえ上層部は日本も領土拡大の為の戦争なのでオランダを排除した後は自国が占領する気だったのでしょうし、現場の日本軍の一部はインドネシア人慰安婦や、酷い暴行事件、民家襲撃事件等を行ったというのも事実です。が、日本軍はインドネシアに即席の軍を作りました。それは自分達と一緒に戦う戦力としての為ではなく、インドネシアが自らの力でオランダに屈しない為に作ったというのが本心だったようです。当然、特別な思い入れもあったでしょう。そんな最中、日本軍はオランダ連合軍に勝利をあげ、インドネシアの救世主となりました。それに喜ぶもつかの間、すぐにインドネシアを制圧せよとの命令が本部より下りました。これには軍内部での衝突があったようですが、命令は絶対です。イヤでも昨日までの仲間を殺さなければいけなくなったのです。しかしそれと時をほぼ同じくして、日本が第2次世界大戦敗戦という大きな事件が起こりました。これにより、インドネシア軍との衝突は避けられたのですが、在留日本軍はインドネシアより撤退命令が出されました。ところが、インドネシアに軍隊を作り、オランダ軍と戦えるように準備を一緒にした日本軍の一部は、祖国の命令に背いてインドネシア独立の為にインドネシア軍に味方したのです。それから4年半の独立の為の戦争が繰り広げられました。当然多くのインドネシア人、日本人、オランダ人、イギリス人が死にました。

今から約60年前の1949年にインドネシアはやっと独立する事ができました。今でもインドネシアにはその功績をたたえられた日本人の記念碑もあります。インドネシアはこういう歴史を経て日本とは深いつながりのある国となりました。しかしこんな歴史を知る日本人はあまりいません。高校の時は歴史の授業ほどつまらんものは無かったですが、こういう歴史は勉強しないといけないと思います。

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