昨日の日記からさらに一部分を抽出してみた。
【分かってても騙されてしまう弱さ】と、【分かっててわざと騙されてあげる】愛情って、似ているようで全く別物と思う。
【分かってたのに騙される】のは失敗を成功につなげる事ができない学習能力が低い人で、【分かっててわざと騙されてあげる】フリをするのは母性本能的な行為だと思う。
【分かっててわざと騙されてあげる】のは、子供とか孫に対しては普通にやる人は多いと思う。そんなに真剣なケースじゃなくても、一生懸命タンスに隠れてる子供に、見えてるにも関わらず「どこかなー?あれ、いないなぁ。」なんて言うのもそれに当たると思う。子供の喜ぶ顔が見たくてウソをついているという事だと思う。
でもこれが子供に対してではなく「男女間の話」ならどうだろうか?
「浮気を知っているがダマっていたほうがモメなくてすむだろうから知らん振り」ってのは
【分かっててわざと騙されてあげる】には入らないような気もする。それは怖いという自分の気持ちをカバーするものであるから、喜んだ顔をみたいという相手に対する気持ちを考えただけではないからだ。
「自分の気持ちはさておき…」っていう前置きが【分かっててわざと騙されてあげる】には必要になると思う。しかしこいつは無残に相手に踏みにじられる可能性を秘めている。直接的に相手には分かってもらえる方法ではないし、その優しさを感じ取るのは、受け取る方にもそれなりの感受性が必要になるからだ。
基本的に【分かっててわざと騙されてあげる】ってのは代償を求める愛の形ではないのだろう。相手からどうしてほしいていう気持ちがないって事はありえないとしても、すくなくともその行為に対しては見返りを求めないのだと思う。
私がこんなに好きなのにあなたは…ってのは愛情ではなく所有欲とかのエゴなのだろう。
愛情って自分の位置がない気がする。相手の位置ははっきりしているのに自分は空というか大きな世界全体と同化したようなそんな感覚がある。だから「包み込む」とか「包まれる」
とかって言う表現があるのか!って今ふと気が付いた。
なんかそういうのは母性本能的な中に眠っているんだろうなと思う。
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