私は基本的に大勢で遊ぶのは好きじゃない。自分が司会をしたり仕切り役で遊びに参加しなくても良い状態で目立ちながらも参加できるという状態は大好きだが(笑。
小学生くらいからの記憶しかないけど、すでにその頃から3人くらいまでの日常と言える親密な感じの遊びは好きだったんだけど、グループ違いの人間が混じったりすると気を使ってイヤだったんだと思う。たとえ同じ3人でも他のグループからの寄せ集めだと気を許せなかった。
信じられないかもしれないが、中学3年になるまではほとんど女の子とクチをきく事はなかった。恥ずかしくて何を話していいのか分からなかったからだ。中3になってからはおもしろい話をすれば注目してもらえるという事に気がついて、人を笑わせる事に命をかけていたような気がする。この時にから人というのは「目立つ人」「面白い人」「普通じゃない人」の事を注目するんだなと気が付き、過剰にその方向に走り過ぎたのだろう。そうすると類は友を呼び、似た様な連中が仲間になる。
でもやっぱり大人数での遊びはあまり好きではなかった。この時はどちらかというと足並みを乱すワガママなヤツがイヤだったからという理由が強かったと思う。中に入ればそれなりに楽しいんだけど、ちょっと引いた目で見るとバカ騒ぎしている連中はバカに見えた。その感覚は今でも一緒かも知れない。
高校生になっても私はいわゆる状況を読むのが上手なタイプでは無かった。空気を読むと言えば、笑いのタイミングくらいのモノで、女の子をクドくタイミングも悪かったし、シビアなポジション争いなどは、わざとに遠ざけた。それを解決してくれたのはバンドと暴走族だった。スター扱いしてくれる人がいたからカッコつけて、怖いものでも怖くないフリさえしてれば、勝手な噂が勝手に流れて勝手に私の像を作り上げた。この時代は大人数で遊ぶのはすごく楽しかった。
わがままなモノだ。自分をヒーロー扱いしてくれる集団とは大人数でも遊ぶけど、そうじゃない集団では、本当に心が許せる人としか遊ばないという話だ。
今の年になってすごく思うのは、覇気がない友達が多い気がする。熱気溢れる様なうっとうしいタイプって少ない。
人間を大きくするにはこの3つがそろわないとダメらしい。
『好奇心』『賢さ』『覇気』
中年になってくると、開拓してさらにいい状況を作るのに労力を費やすくらいなら、現状維持が楽でいいや… というような、ションベンの出の悪い様な輩が増えて来る。
どうしてもそういうヤツはすでに親友という枠からズルズル落ちてしまう。
結果ではなく心粋を優先して判断するが、それでもビビリ野郎は多い。
小学生からかわっていない事実。それは3人以上の集団は気色が悪い。結局どこかに無理があるから規則を作らないと、まとまらない。その規則は全員がどうしてそうなったのかを理解できるような代物じゃないと理解できない人は離れていくという事実。これは家族にも会社にも国家にもあてはまると思う。
コンパとかの微妙な空気が気色悪くなって抜け出したりしたのは、この理屈のせいかな?
校則だから守りましょうね。みんながしている事がどうしてできないの?と言う言葉が、今でも死ぬ程嫌いなのはこのせいかな?
人に歴史あり。個々にいろんなこだわりや思い入れがある事があると思う。
実は高校の時に書いた詩が出てきたのを見てこの日記を書こうと思った。
最後にそれを書こう。
【「あそこに誰かがおる!」
そう言った僕のせいで皆は急に静かになった。
僕の指差した方向には窓があったが、ここは4階
外に誰も立てるはずもない。
「光の反射やろ!」
そう言った友達の一言で皆はまたさっきまでのように
笑ったり、楽しそうな話をし始めたりした。
僕にはそこにハッキリと人が立っているのが見えるのだが
みんなには見えないようだ。
僕の頭がおかしいのか、みんながおかしいのかには意味もない。
みんなを怖がらすのも、自分をきちがいだと思われるのもイヤだから
僕はこわがりだから、自分だけ先に家に帰ろう。
外に出ても、みんなの笑い声はまだ聞こえていた。ふと上を
見上げると、4階の窓の外に立っている人が僕の方を向いて笑った。
何も見なかったフリをして早く帰ろう。 】
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