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2007年08月18日21:51

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これからの時代にそぐう思想主義は?

現代の資本主義は、他人を蹴落として利益を得る社会になってしまった。元々そういう主義なので仕方ないのであるが、バブル崩壊以来、蹴落とされる人口が急増しすぎた。どうにかならないものだろうか。しかしそれに反対して、順位付けがダメだとか、競争がダメな行為だとした思想は中途半端でもっと気色の悪いモノばかりで、もっともっとどうしようもない。えげつない言い方をすれば、道徳上は極力、害を被る人口は少ない方が好ましいのであるが、全員が勝ち残る資本主義はなく、時には屍の上に城を築かないと勝ち残れない事だってあるだろう。

現在の日本では富と権力があれば法律では裁けない道徳の面の悪は、原理上のさばる事が出来るような社会ではあるが、次世代に道徳を捨てた日本人には進むべき道はないと思う。宗教というものが不確かな日本で道徳心を除くと人間ではない生物が残りそうだ。逆に武士道的な道徳があれば、卑怯を意味嫌い、卑怯なマネをするくらいなら死んだほうがマシだという心があるはずだ。これがあればイジメだって不正だってなくなる。いきなり道徳を植えつけるのは難しそうなので、まずは卑怯な事に対して、法律をもっと厳しくするというのはどうだろうか。卑怯な手口には重い刑を科せれば、道徳感が芽生えるのかもしれないがどうだろうか。大勢で1人をリンチした場合、終身刑であるとか、レイプは死刑とか、イジメはした側の親子ともに実刑で、された側にも軽い刑罰があるとか、行列の割り込みは5年以下の懲役または100万円以内の罰金とか。法律の抜け目を狙う様な、やらしい事をしたらそれも罪だとか。道徳を法律に生かせば、日本はもっと生き返るんじゃないだろうか。でもこれは人権侵害だの、思想の自由の侵害だのと、権利ばっかり主張する輩が邪魔するとは思うし、教師や警察や検察も今まで以上に良い心を持った人間が必要になると思うから、まず、教師、警察、裁判官、検察官、弁護士等の国家試験には当然「心と道徳の試験」が追加される事になり、試験する側の不正を完全に回避するシステムが必要になる。そんなのは無理かなぁ。

まずは法律うんぬんの前に親や地域住民が子供に関心を持つことからはじめないといけないのかもしれないけど、そんな事はもうすでにみんなが努力している事で、たったそのくらいではダメなんだろう。子供が子供産んで、ペットを育てる感覚で子供を育てる人が増えてきているから仕方がない。そういう親も法律で罰するべきだろうか? 本来は自由の中で自分で道を選ぶ事ができる人間を育てる事が重要であり、法律でガンジガラメだから悪い事をしない人間を育てるのが目的じゃないから難しい。

どこで聞いた話だったか忘れたので定かな話じゃないけど「牛のミルクと子牛を一緒に煮て食べてはいけない」という戒律を誇大解釈して「牛の肉を食べてはいけない」となった。というのがあったが、前者は人道的に納得がいくが、その誇大解釈としての戒律にはあまり意味がないように思える。現在の日本や世界にもそういう解釈のせいで訳が分からなくなっているモノがあると思うが、それは整備すべきであると思うし、これから制定する法律も将来そうならないように道徳的な解釈を教えるべきだと思うが、たとえば豚を食してはならないとする回教徒に、そのルーツや本来の意味を説明し、現代の世の中ではそうする事に当時ほどの意味がないと教え、豚を食べさせる事は不可能なので、簡単に成功するとは思えない。戒律は絶対である国では「どうして、そうしなけれいけないのか?」に意味がないし、みんな興味がないからだ。法律や戒律を守るという行為に意味がある民族が集まった国と、治安を守る為に法律が制定された国では作りが違うから仕方ない。日本はそういう戒律みたいなのがある国じゃないのだから、意味のない法律や、時代にそぐわない法律は今以上にガンガンに整備し直すべきであり、道徳に基づく法律をもっと作るべきだと思う。

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話は変わって、人間の心とは難しいものだ。人間にとって心とは何よりも一番大事であるが、地球にとって、また国を治めるモノにとっては単純に厄介なものだったりすると思う。だからバカな政治家とかは効率の計算ばかりして、民衆の心を無視してしまい、その結果として失脚するハメになったりする。

ちょっと極端な例だが、たとえば地球上の酸素が足りなくなったから世界の25%の人間を間引きしないとマズい。なんていう状況になったとして人類は25%の大殺戮を行う事が可能だろうか? その時に死んではダメな人間、死んでもいい人間は誰が判別するのだろうか? デスノートのライト(注:漫画コミックの主人公)のように犯罪者を優先して殺せばいいと思う人もいるだろう。ある特定の民族を全滅させればいいと思う人もいるだろう。しかし、それが世界規模で実行される可能性は低いと思うから、大殺戮が起きないという事を前提にしても、確実に人類は全滅を避ける為に25%を選ぶ道に進むのだろう。そして最終的にはその為に戦争が起こるだろうと思う。しかし、たとえば「私たちの国は世界を救う為に自ら全滅します」という国があったとしても、簡単には国民みんなを納得させられるとは思わない。さらに、その国の代表者は果たして立派な行為をとったと言えるのかどうかも疑問なのではあるが、国民が納得する、しないというのは、国としての道徳の基準だと思う。当然、道徳は個人だけではなく集団をも動かす。国としての道徳倫理は世界を動かすと思う。そういった意味で日本はもっと世界から一目を置かれる存在にならなければいけないと思う。今のような政治、外交では存続自体が危ういのではないか。

やはり国という大きなものでなくても、組織というものは教育にはじまり教育に終わる。国とは国民であり、国民の道徳は国を守る。その為には僕らは今、何をしなければいけないのだろうか?何をしようが何も変わらないのかもしれないが、個人の小さいこういった気持ちが将来何かを変える事ができると私は信じている。
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