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2007年07月05日00:28

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武士道。

最近は日本人の良い心を表す言葉としてよく使われるようになった言葉で「武士道」という言葉がある。

日本の古来からの宗教と言えば「神道」です。これに中国方面から伝来した「仏教」と「儒教」が相まって、日本独自の日本仏教とでも言うべき姿になったのだと思う。

身分の高い者、年上を敬わなくてはいけないという「儒教」の考えは士農工商の身分制度を布いた幕府にとって好都合な思想だったと思う。

本来「武士道」とは、高い身分に対してのその言動に対して責任を問う教えであり、全国民の6%しかいない武士が従うべき道だったはずで、当然「武士道」は神道、仏教、儒教から強く影響を受けている。

弱きを助け強きを挫く。武士は食わねど高楊枝。
能ある鷹は爪を隠す。腹八分目。これらが的確な言葉かどうかはさておき

謙虚であれ。勤勉であれ。熱心であれ。遠慮深くあれ。人に心配をかけてはいけない。親を大事にしなけれないけない。弱い者に対して優しくなくてはいけない、と説く。

しかし武士は親の敵であれば人を殺してもよい権限があった。無礼な仕打ちを受ければ切り捨ててもよい権限があった。

私は、今現在よくいう「武士道」というのは上に書いた、現在の世の都合のいい部分だけをより出してしまってはいないか?と思う。当時の日本人の6%だけが武士であり、その中の何%の人間が本当の意味で武士道を尊んだのであろうか?

権力を持った人間が奢らないように戒めた「武士道」が今の世に何を残すのだろうか? 血縁を大事にする武士道が、武士ではない人間に意味があるのであろうか?「武士道」とは地位はあるが、野蛮な生き方をする人間が正しい心を持てるように作られた教えではないだろうか?本来は、人殺しの心に平静をもたらす教えであり、その権力がある人間が堕落しないように人格をきつく縛り上げる教えであったに違いないと思う。

日本は明治維新以降、国家神道の道を歩んだ。天皇陛下が神となった。
日本人は人間であろうがキリストであろうが仏であろうが神にする事ができる。これはなぜかと思い、色んな本を読んでみると、神道という物が八百万(ヤオヨロズ)の神を信仰しているからだと分かった。日本には無数の神様が昔から存在する。川の神様。山の神様。お米の神様。太陽信仰等。だから、仏様がそれに加わっても、イエス様が加わっても、天皇陛下が加わっても、そんなに違和感がなかったという事らしい。だから日本人というのは神様はどこも神様でもそんなに嫌悪感がない。

これがイスラム教となると全然違う。アッラー以外の神は存在しない。旧約聖書によれば元々イスラム教・キリスト教・ユダヤ教の起源はすべてユダヤ教であったのだが、キリスト教はイエスを神の子とした為に一神教ではないと喧嘩になり分離し、イスラム教は本来共通の唯一神ヤハウェをアッラーと呼び、別かれた。

イスラム教側からすればキリスト教は同じ起源の一神教であるのに、単なる預言者であるイエスを神の子だと言うわ、マリア様まで崇拝するわ、それまで禁止されていた偶像崇拝までするわで、でたらめな宗教という訳だ。

宗教的に柔軟性が高いのは「仏教」「神道」「ヒンドゥ教」と言える。このため、この3つの宗教では「大黒様=シヴァ神」「大日如来=天照大神」などという突拍子もない解釈が普通にまかり通っている。特に日本仏教的思想であれば「人間=神」でもそんなに違和感がないが、これはイスラムからすればとんでもない。神道に入るには教義がないので勝手に入れる。日本人であれば生まれつき自動的に神道と言っても過言じゃない。

イスラム教は必ずしなければならない事が多い。隠れムスリムというのは無理だろう。隠れキリシタンは可能だがつらい。だが隠れ神道は簡単だ。だが明治維新後に国家神道に変化した日本は盲目化し、お国の為にと働き戦争をした。これは「天皇陛下=神」となったからに他ならない。歴史を振り返ってみると、人間を神とし、その言葉を絶対だとする時、必ず狂信的な異常な状態になっている。この事を知っているからユダヤ教イスラム教は神の言葉にしか従わないのだろうと思う。人間を神としその言葉に従う事は破滅しか生まないのだろう。その意味ではキリスト教も十分にあぶない状態を乗り越えたはずだ。ものすごい数の犠牲者を出しているのはそのせいだと思う。

その後、日本は敗戦し、天皇陛下は人間であるとされた。

この時点で日本で形のある宗教は消えたのではないだろうか?
残ったのは「無条件に普遍的なモノがある宗教」に対して狂信的で怖いというイメージ。宗教とは束縛するモノであって支えるモノではないというイメージになったのかも知れない。

だからこそ今、平成の世になって「武士道」が注目されているのだろう。しかし「武士道」とは今の世に合う教えだとは思えない。本来の日本人の心、よい習慣を取り戻すのであれば「武士道」ではなく「武士道の一部」+それ以外の日本独特の神道・仏教・儒教の交じりあった教えなのではないだろうか?

でも今の日本人はさっきも書いた通り「宗教」というとそれだけで警戒する。だから「武士道」とした方がとっつきやすいのかも知れない。だが、さっきも書いた通り「武士道」は高い位の人間がその位に恥じない為に学んだ教えである。

「武士道」の中から現代の世にあう日本人らしい生き方を教える道が見つけられるのであれば何か新しい名前をつけた方がいいと思う。それが本当の意味での日本の宗教になるのかも知れない。

日本人の宗教という物に対しての考え方がおかしいのは事実だ。宗教ではなく「心のすじ道」とすれば捕らえやすいのかもしれない。

日本人にとって神は全く信じなくても良い存在であり、また同時にとても身近な存在だと思う。こういう考えはイスラム教、キリスト教からすれば理解できないだろう。
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