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2006年11月04日02:20

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特集連載企画『帰化食物・ラーメン外伝』【長崎ちゃんぽん/皿うどん】

都内某所の駅前に降り立つ。丁度、腹を空かせてたところに
「本場・長崎ちゃんぽん」の看板が目に入る。


もう、、何度このテに騙された事だろう。学生時代、築地に「ふくちゃん」なる博多ラーメンを喰わすとこが出来た時だっつけか?クラスの九州人(福岡1人、熊本1、鹿児島1、と私
長崎1人計4人)で連れ立って喰いに行ったことがあった。福岡の有名な辛子明太屋の経営つーことで、そうそう酷いモンは喰わせんやろと思って福岡の奴は勇躍、先頭切って店に飛び込んだ。
まだ、九州ラーメンが流行る前で、都内でも九州ラーメンを食わすところは数えるほどしか無かった。結果、味はまあまあなんだが、、、しかし、そこで九州人4人は信じられない光景
を目の当たりにする。客は店員のガイダンスにしたがい、高菜漬辛子明太、紅生姜フリーのサービスとゆうことで九州ラーメン特有の白濁スープも朱に染まれとばかりテンコ盛りにして喰っていた。アレじゃー本来の味も分からんだろーにと皆、心の中で思っていた。てゆーか、店員よ!本業がメンタイ屋経営なんで、仕方が無いのかも知れんが、限度ちゅーもんがあるだろうし、正しく教えてやれよ…と思っていたら、、福岡県出身のA野くんが顔を真っ赤にしてやおら立ち上がり怒り出した。Aくんは警固中、警固高卒の所謂、チャキチャキの博多っ子である。明太と紅生姜でスープを真っ赤にして食べてる客を指差し
「こげんと、嘘やけんね!ほんとの九州人はこげんしては喰わ んけんね!博多ではこげんしては喰わせよらん!!」
 と、大声で叫び始めた。もう半泣きの無念の形相での抗議で ある。
「まあ、まあ、もうそんくらいにしときやい」熊本とオレで
 Aくんをナダメ座らせ、勘定を払った。
以下、ノレンをくぐりながら、皆の捨て台詞
福岡A君:「嘘つきの店ばい、もう二度と来ん!」
鹿児島U君:「はよ潰れろ!」
熊本N君:「桂花のあるけん、ココはイラン!」
長崎 オレ:「…あ、お騒がせしました〜(愛想笑)」
皆、大人であるw
、、とまあ、こんな穏やかな?わらしでさえ、東京に出てきて
幾度と無く悔しいメに遭ってきた。リンガーハットが東京進出するまで、本場の味チャンポンと称するサンマー麺もどき、タンメンもどきつーかそのまんまタンメン?餡かけ広東メンetc列挙にいとまがないくらいダマされてきた。東京は酷かトコやぁ〜(泣) 当然、自衛手段も幾つか身についた。 まず、ノレンをくぐり、例えチャンポンが食べたくてもひとまず、
こうオーダーする。
「皿うどん、太い柔(ヤワ)麺で!」
ここで、店員が「ハァ?」とか「ウチは細めんパリパリだけです」とか言う場合。すかさず店を出る。つまり、「チャンポン
麺」の有無を問うているのである。上記の場合チャンポンもどきのラーメンである可能性が80%強だからである。
皿うどんは常にチャンポンとカップリングでワンセットの裏メニューだからである。これは、考案者が特殊な麺である「ちゃんぽん麺」を余らせない様に工夫した結果と言われている。
皿うどんがなくてチャンポンだけしかメニューに無い店は当然
要注意なのである。さて、ヤワ麺のオーダーが通ったら、すかさずチャンポンに代える。気分次第でそのまま「皿うどん」なら、もう一つ試してみよう。おもむろに、、、
「あの、、、ウスターソースを、、」
ここでもう一発「ハァ?」とか「お客さん何にかけるつもり?」とか返ってくる場合。怒りにプルプル震える右の鉄拳を
なだめつつ「キサ〜ん、皿うどんにかけるったい、当たり前
やろが?クラしちゃるけん、来いや!」と心の中で叫びつつ
「んじゃ、酢かけて喰うわ」事無くいなす。大人だからw
そう、関東の人はお酢を当然のごとくかけて皿うどんを喰うが
我々、長崎人は当然のごとく「ウスターソース」をかけて喰う。東京暮らしが長くなったわらしはソースと酢の相がけである。ここでホンマもんの店主さんや良心的な店ならばウスター
ソースを嬉々として出してきて「お客さん、長崎の人だね?」
などと聞いてくれる。ほとんど皆無だがw つまり、識別法その2としては、ちょっとむつかしいがテーブルにウスターソースのある店。これはホンマもん喰わしてくれる確率が50%くらいありそうな店なのである。
さて、今回も前置きが長くなったが、マイミクbobbieさんの
問いに答えよう。
>ちゃんぽんのルーツは福建省にあるのでは?

BINGOであります。長崎ちゃんぽんの発明者と言われる「四海楼」初代陳平順は福建省・福州の人である。


【長崎ちゃんぽん】
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
ちゃんぽん麺は小麦粉に唐灰汁(とうあく)を入れて作った独特のものだが、独特の風味が出てまた腐敗防止にもなる。ラーメンや中華麺は、かんすい(炭酸カリウム約90%)で小麦粉をこねるが、ちゃんぽんの麺は唐灰汁(炭酸ナトリウム約90%)の水でこねた長崎特有のもので、福建地方の食文化が活かされている。こうしたちゃんぽん玉(麺)、今では長崎市を中心に50社余りが製造しており、関西、関東方面に積極的に営業を展開し、その生産額は10億円を超えると言われる。
ちゃんぽんは『麺』
である。


【ちゃんぽん発祥物語】
明治25年、こうもり傘一本持って大陸から長崎へ渡ってきた若者がいた。福建省福州の出身、後のちゃんぽんの考案者といわれるようになる19歳の陳平順(ちんへいじゅん)である。
平順は「長崎でひと旗あげよう」と、新地で砂糖貿易商を営む縁者の益隆号をたよってきた。当時の華僑は、料理、散髪、仕立屋という“三刀の仕事”ぐらいしかできない状況であったが、平順は保証人の益隆号から金を借りてリヤカーに反物を積み、遠くは島原まで足をのばし、行商しながら資金を貯えていった。
明治27、28年の日清戦争を機に華僑に対する風当たりが強くなったが、平順は侮蔑の眼差しに耐えながら、無心に働くことで苦境を乗り切った。7年後の明治32年、明治の初めまであった唐人屋敷の入口付近、広馬場に中華菜館兼旅館の『四海樓(しかいろう)』を創業した。横看板には大きく『官許 大清國四海樓御旅館茶園酒館時點雅菜各国料理』『四海樓清國御料理御旅館』とあり、英文の看板もあった。従業員30人の意欲に満ちた開業であった。
この四海樓で生まれた『支那饂飩(しなうどん)』がその名も『ちゃんぽん』と変わり、長崎で最も親しまれる大衆料理へと発展し、『ちゃんぽん』はいまや日本の代表的な食べ物の列に加えられるまでになっている。
長崎市内には百数十軒の中華料理店があるが、ちゃんぽんを供する店は更に多く千軒以上あると言われる。『ちゃんぽん』のという名称の由来は当初、支那うどんと名付けられていたものが、明治時代の後期頃からどのようにして『ちゃんぽん』と呼ばれるようになったのか・・・。中国語というと一般的に北京語(普通語)のことを指すが、広大なこの国には、数えきれないほどの方言があり、その方言も殆ど外国語のようなものでコミュニケーションがとれないことが少なくない。その一つに福建語があり、長崎で最初に活躍した中国人(華橋)は台湾及び福建省南部の廈門の貿易商人でしたが、その多くは国に帰ったり、他の地方へ行ったりしてしまい、のちに出稼ぎで渡って来た福建省東部地域の福州・福清人などが多く永住するようになりました。現在長崎に定住している中国人の9割以上がこの福建省東部地域の出身者もしくはその子孫です。
『吃飯(福建語でシャポン又はセッポンと発音する)』という言葉がちゃんぽんの語源ろいう説がある。『ご飯を食べる』という意味だ。さて、中国語(普通話)では「ごはんですよ」「さあ、めしあがれ」にあたる言葉は(喫飯)です。これを福建語ではなんと発音するのでしょうか。福建省出身である高山乾忠先生による主要都市別に(喫飯)の発音をしていただき、それをカタカナで表記してみました。
福建省東部地域都市・・・福州「シェポン」福清「シャポン」

福建省南部地域都市・・・廈門「ヂャメー」泉州「ヂャポン」

どうですか。「チャンポン」という音によくにているでしょう?当時、親しい人に出会ったとき『(ご飯を食べたか?)』と挨拶していた。その時々の関心事が挨拶になることは世の常であり、例えば、梅雨などの天気であったり、商売が儲かっているかどうかなど・・・。この時期の華僑や留学生にとっては貧しい時代であり、日々の食事が最大の関心事であった。『(ご飯を食べたか?)』と挨拶されて『していない』と答えると、初代陳平順のような苦労人は『では、うちで食べていきなさい。』と言っていたのかもしれない。この挨拶言葉の『吃飯』が長崎人の耳にふれるようになり『支那うどん』と同義語になり、ついには『ちゃんぽん』になったのでないか。つまり華僑や留学生の会話のなかに活きた言葉として生まれたものと考えられる。明治末の「支那饂飩」の登場から十数年後の大正時代には、すでに「チャンポン」という名が定着していました。中国語起源説では、’チャンポン’とは「挨拶の言葉」もしくは、「ごはんですよ」とか、「さあ、めしあがれ」という意味であり、『ごちゃまぜ』の意味ではないということです。「チャンポン」と言って、まんじゅうや、せんべい、すし、なにを出してもかまわなかったのです。それがたまたま、ありあわせの材料で汁ソバを出したために、具が多い中国風スープうどんのような物と誤解してしまったわけです。
もう一つの呼び名の由来説はマレー語から来たと言うもの。
 インドネシア語とマレー語で、「混ぜる」ことを「チャンプール(champur)」と言います。当時、インドネシアはオランダ領だったので、出島に来たオランダ人から入った言葉かもしれません。ポルトガル語で「混ぜる」ことを、「チャンポン」と言うという説もありましたが・・・本屋でオランダ語・ポルトガル語・スペイン語の辞書を立ち読みしましたが、「混ぜる:メスクラール」はどうみてもチャンポンという音には似てませんでした。ごめんなさい。この説は可能性薄です。
「ちゃんぽん」=「混ぜる」の意の語源発祥として意味では
ちなみに、沖縄の料理、「チャンプルー」も混ぜると言う意味であり、この事実がマレー→インドネシア→沖縄→九州の環太平洋経由+オランダ船インドネシア乗組員で定着というのが有力。

さて今回の『帰化食物』認定であるが・・・
我が愛する「ちゃんぽん」よ、、
もう21世紀に入り何年も経つというのに
未だにTOKYOでは誤解されまくり、、、
四海楼初代・陳平順は「長崎ちゃんぽん」の商標登録や特許
を出願するように娘から勧められた折、
「たくさんの人にたべてもらいたいから」と敢えて取らなかったというし、作り方を聞きに来る人には誰にでも快く教えていたという。おかげで現在長崎県下では千以上のお店で食べることができる。嗚呼、しかし「長崎ちゃんぽん」よ、、
お前は永遠のローカル「長崎名物」「長崎土産」なのか?
それでいいのか? イイのでつかそうでつか。。。
とゆーことで
今回の「長崎ちゃんぽん」の『帰化食物』認定は
見送りとさせていただきまつ(涙)。

それでも俺は新地・江山楼の『ちゃんぽん』が好き!!

2006年 11月吉日
           帰化食物認定してイイん会?
           まんもちゃん

参考文献:長崎四海楼ちゃんぽん博物館
     >>http://ns.vidro.ne.jp/shikairo/index.html
    「ちゃんぽん魂よ、永遠なれ!」(民明書房刊)

日本ラテン傑作選 1931〜1957/日本ビクター盤
『ちゃんぽんルンバ』
>>http://www.jvcmusic.co.jp/worldmusic/latin/cuban/60229.html



           








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