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2026年09月26日16:39

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あばれ沼=印旛遊水沼

■千葉・印旛沼の堤防決壊で“仮堤防”設置へ 週末から再び“雨予報”…「また水がきたらどうしよう」住民からは不安の声【台風26号】
(TBS NEWS DIG - 09月25日 17:47)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8963244
 普通、湖や沼と云ったものに堤防がある事はない そこに堤防が存在する それぐらいこの沼には因縁深いものがある
 家康はきっと江戸の水害を減らす為、利根川と渡良瀬川鬼怒川をつないで太平洋へと流した そして現在の千葉県内の水の行き場が制限されてしまった 利根川の水位が上がるとあばれ沼だったのかも知れない 家康は水害だけでなく、湿地帯で通る事が出来なかった葛飾一帯を乾燥化させることも目的だったろう 通れないのでその昔は頼朝は安房へ舟で渡り、家康も江戸から成田街道の起点である船橋へ舟で渡りそこからまっすぐな東金御成街道を造って鷹狩に行った
 みんな頑張った 何度も挫折を繰り返しながら台地を削り掘り下げ江戸時代から昭和まで掛かって谷津田と谷津田を水路で繫いだ それが今の新川花見川 それでも台地の方が高いので揚水施設(大和田排水機場)で水を上げなければならない 利根川と結ぶ長門川にもポンプがある事を最近知った それでも利根川の水位が高ければ機能できない
 そして、印旛沼の干拓も行われ堤防も築かれたのであろう だから一帯が沼地部分 錦鯉も鰻も養殖しやすいに違いない
 葛飾は乾燥化し、ゼロメートル地帯と云われるところでも水に浸かる話は知らない
 より西の方で雨は降り切ってしまい元々千葉県には雨はそう多くはなかった ところが海水温度が上がり東の海から水分が供給され続け、より冷たい大気と遭遇して線状降水帯が千葉県でも出現して仕舞った 亦颱風も発達しつつ南や東から直接向かってくることにもなった
 ほんの40年かそこら前まで谷津田に人は住んではいなかった 印旛沼を干拓する一方で、谷津田を宅地造成した 中学校の地理学科教師に「谷津田に住んではいけない」と戒めを受けていた どちらも必要なかったのか 印旛遊水沼のままで谷津田は農地のままで   宅地造成は台地で里山の木々は失われるが 錦鯉や鰻は干拓地ではなく谷津田で充分ぢゃ 養殖は低地では水害には弱いが
 住宅地では水路はどぶ川とまで蔑まれるが、谷津田では台地から集めた命脈 谷津田はうみとなり悲しい事態と相成った
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