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2026年06月13日15:03

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東武特急で行く日光散策&「JR・東武直通特急20周年記念 253系 新エクステリアデザイン」お披露目イベント

昨日〜今日が連休となりますが、昨日は日帰りで日光まで行ってきました。
浅草から東武での移動で、行きに特急「スペーシアX」の指定券を買おうとしたのですが、あいにく既に完売でした。
さすがに先頭車の大人数向け個室のコックピットスイートだけ空いていても買えませんが、コックピットスイートはもちろんスタンダードシートも全て満席でした。
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仕方なく次の「リバティけごん・会津」の指定券を買いましたが、だいぶ余裕があるかと思っていたら、驚いたことにこちらも空席僅かという状況でした。
鬼怒川温泉などがあるという場所柄なのかもしれませんが、東武の特急は伝統的に金曜日の利用も多いようで、昔から金・土・休日運転の特急も設定されていて、そういう利用状況は今も変わらないというのを実感させられました。
なお、浅草出発時は若干の空席があるも、やはり北千住で満員になっていました。
また、ドリフのサウナコントの面々みたいなグループが周りにいて早速酒を開けて酒盛り始めそうな勢いで何だかな〜という感じでしたが(さすがに高木ブー演じた顔まで入れ墨の人はいなかったが)、見た目がアレなだけでその後騒がしいとかは一切なく、意外と紳士的な人たちでした。
なお、同じ車両の後ろの方には西野カナ×新垣結衣系な人(もう一人は某G氏っぽいピンク髪の女子プロレスラー系だった)がいました。
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また、途中で新鹿沼に停車しましたが、ちょうど車窓の横に保線車両が止まっているところでした。よく見たらこれって家庭用エアコンを積んでいるのですね。あと、室外機の上にソーラーパネルのようなものが乗っていますが、さすがにこれだけでエアコンの電力は賄えないかと思うので、反対側に置かれているディーゼル発電機で電力を賄っているのでしょう。
余談ですが、鹿沼市(正確には西側の山寄りの旧粟野町地区になります)出身のガッツ石松が亡くなられ、樅山駅近くの霊園に生前に用意した墓が話題になっていますね。墓石に本名ではなく「ガッツ家之墓」と書くところがガッツ氏らしいですが、とうとうここに入る日が来てしまったのは何だか寂しいです。
おまけに、スパイダーマンショーを本当の喧嘩と勘違いして「やめなはれ!」と止めた伝説のある中村玉緒も時を同じくして亡くなり、両氏の本業以外の面白いキャラに笑っていた世代にとっては寂しいことこの上ないです。
途中で下今市での鬼怒川線方面との切り離しなどがあり、東武日光には浅草から2時間弱で到着。
駅前には、路面電車の日光軌道線で使われていた109号車が保存されています。
東武博物館には連接車の200形が保存されていますが、ほぼ同時に登場したその単行版がこの100形です。
100形は日光軌道線廃止時点で比較的新しかったことから全車が岡山電気軌道に譲渡されましたが、冷房化ができないらしく岡山でも車体新製や老朽廃車で置き換えが進み、非冷房のままイベントカーに改造されたもの以外は引退し、そのうちの1両がここに帰ってきました。
そして、東武日光駅からの世界遺産めぐりバスに乗車。
特急到着に合わせて、一度に乗り切れないこともあって続行便も出すためか、次のバスが5分後に来るなどこの時間だけは都心部のバス並みの高頻度運行です。
また、昔ながらの整理券とICカードに加えて、QRコードと日光地区専用の「NIKKO MaaS」対応のカードリーダーが設置され、中扉横に色々な機械が設置されているのが印象的でした。
そして路線バスだと網棚のないものが多数ですが、観光客への対応のためか珍しく棚が設置されています。子供の頃に乗った路線バス車体ながら前扉しかなくて1ドアで非冷房で扇風機が回っていたバスも確か棚があった気がしますし、いろは坂を越えるバスも観光バスからの転用車で棚付きなので、これは日光の東武バスの伝統なのかもしれません。
歩いて行こうと思えば行かれる距離なので、5分ほどで東照宮の表参道に到着。
なお、乗ってきたバスはAT車でしたが、運転手が「このバスはオートマチック車です。変速ショックによる揺れが大きい可能性がありますので、予めご了承ください。」と発車時にわざわざアナウンスし、神橋を渡って右折した先の急な坂で「ギアを2速に落とします。揺れますのでご注意ください。」とアナウンスしたほか、色々よくしゃべる面白い人でした。
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参道を歩いてまずは東照宮へと向かいました。
なお、日光東照宮の入口の標高が634mなのは有名ですが、日光東照宮が建立された頃はメートル法が使われていなかった時代だし、それ以前に標高を測定する技術がなかったかもしれない時代です。
江戸幕府を開いた徳川家康が、自らの死後に江戸城の真北の「北辰の道(北極星信仰)」としてここに東照宮を設置するように遺言を遺したとされていますが、高さがメートル法にしたらちょうど武蔵の語呂合わせとなったというのは偶然なのか、果たして違うのか、これは謎ですね。
まず五重塔を撮影してから拝観券を買って東照宮の中に入りました。
東照宮の中には、各地の大名から奉納された多数の灯篭が設置されていて、多くは石灯篭ですが一部銅製のものがあるほか、陽明門に向かう階段の右横には鉄製のものが2基あります。
これは伊達政宗が奉納したもので、ポルトガルから輸入の南蛮鉄で作られたものとのことです。
また、鎖国していた時期に交易していた数少ない国であったオランダ商館(オランダ東インド会社)から奉納された銅製の回転灯篭の「オランダ灯篭」もあります。
寺社仏閣の灯篭はスルーしがちですが、よく見てみると様々な形があって面白いです。
また、陽明門に向かう前にある神厩舎は、見ざる聞かざる言わざるの猿の彫刻で知られますが、これは全8面の彫刻の一つであり、猿の生誕から成長、そして新たな生命を身ごもって誕生というストーリーになっています。
陽明門をくぐった後は、家康墓所のある奥社に向かいました。
奥社の入口の頭上には眠り猫の彫刻があります。
奥社まではかなり長い階段を上がりますが、上がった先には宝塔と鶴・亀・獅子の像が立っています。
その後は本殿、神輿舎を見ました。なお本殿内は撮影禁止です。
そして神輿舎には、なんとガンプラが奉納されています。
最後は、鳴き龍で知られる本地堂を見ました。
僧侶が拍子木を叩くと、他の場所では反響が起きないのに天井の龍の絵の顔の部分の真下でだけ反響が起き、これが龍の鳴き声だとされていますが、天井にどういう仕掛けがあるのかは謎です。
その仕掛けは、建造した人のみ知るものかもしれませんし、東照宮の中の人なら知っているかもしれませんが、一般庶民にその仕掛けが明かされることはおそらく未来永劫ないだろうと思ったら、普通にその仕掛けは科学的に解明されているようですね。
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東照宮を出た後は参道の途中にある食事と土産店の「御食事きしの」で昼食にし、今回は「そば定食」を食べました。
かけそば、ごはん、巻き上げ湯葉の煮付けなどのセットです。場所柄どうしても値段は高めですが、美味しくいただきました。
また、ピークを過ぎたので若干の空席はありましたが、直後に「い◯◯い」ことH氏っぽい青髪の人が来て、同じものを注文しているようでした。
食後は輪王寺に行き、まずは宝塔を見学。金色の飾りが美しいです。
次いで本堂や本堂横の池などを見ました。
輪王寺は、有料エリアの宝物殿内の逍遥園の池は有名ですが、本堂横の池はあまり情報がないですね。
そして池の中に石の橋があって、その向こうに地蔵堂が見えるのですが、池の周囲は立入禁止になっていて地蔵堂には近付けません。これは一般公開されることはあるのでしょうか?
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東照宮や輪王寺を見終えた後は東武日光駅方面へと歩きますが、輪王寺の駐車場にちょうど「日光グリーンスローモビリティ」のEVバスが到着しました。
軽自動車用の小さいタイヤが10個ついた独特の外観が特徴のオープンタイプの低速EVバスで、同型車は池袋の「IKEBUS」にも導入されています。
この周辺を周遊するためのバスなので、駅方面には行きません。
なお、東武バス日光による運行となるので東武バスの車番が付与されていて、試験車両向け(自動運転実証実験など)に割り当てられた1000番台の1002が付番されていました。
その後は勝道上人像前を通って下山しましたが、途中に水路から流れ落ちる小さな滝があるのを発見。
東照宮や輪王寺のコンクリート製の側溝から続く人工の瀧ではあるけど「長さか瀧」という石碑も立っていました。ここの坂の名前が表参道長坂で、この坂道は東照宮へと続く旧日光街道の最末端部でもあります。
坂を降りたところで国道120号線に出て、歩道がなくてバスなどが信号待ちで詰まっているので前に進めなかったのですが、ここで上をふと見上げたら小さな神社があり、これは「深沙王堂」とのことです。
勝道上人一行が大谷川を渡れないでいる時に、二匹の蛇を放って一行を助けたという「深沙大王」(蛇王権現)が祀られていて、この深沙王は「毘沙門天」の化身であり、仏教経典を求めてインドに向かう玄奘三蔵を危機から救ったといわれ、橋渡しの神という信仰から「縁結び」、また蛇信仰から「商売繁昌」としても崇められているとのことでした。
スルーされてしまいがちなマイナーなスポットですが、ここで道が詰まっていなければ存在に気付かず、私もスルーしてしまったかもしれません。そんなスポットに出会えたとなれば何か有難い気持ちになりますね。
その後は神橋を見てから日光食堂本店前に出ました。
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オレンジ色の屋根の風格ある建物もいいけど、ここにはロープウェイの廃車体を転用改造した電話ボックスがあるのもポイントです。
ロープウェイの廃車体を籠のような形にデコレーションして電話機を設置したもので、内装はほぼロープウェイのままです。
これは大きさ的に明智平ロープウェイの搬器かと思っていたのですが、東武博物館に保存されているものとは形が全く異なるし、かといって近くの中禅寺温泉ロープウェイ(現在は廃止)のものかと思ったら、こちらはもう少し大きい搬器だったみたいです。この搬器は一体どこのロープウェイものなのでしょうか?
その後は、江戸幕府3代(家康・秀忠・家光)のブレーンとして活躍し、明智光秀と同一人物ではという都市伝説もある南光坊天海像を撮影。
明智平に自らの名前をつけたほか、秀忠と家光の生誕時に自分の名前の文字を一つずつ入れさせたとか、そういうのが根拠とされていますが、実際のところどうなのでしょうね?
神橋からは駅まで歩くつもりで、途中まで歩きながら街道沿いの古い建物などを撮りながら向かっていましたが、途中で急に雨が降ってきてしまい、しかも雨雲レーダーを見たら極めて狭い特定の範囲を狙い撃ちするかのように芯のある雨雲が近づいてきてしまいました(怒)。
仕方なく途中のバス停から駅まではバスに乗ることにし、バスを待つ間にバス停前の土産店で売っていた湯葉団子を食べて待ちました。
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そして東武日光駅に到着し、今度は駅構内で開催された「JR・東武直通特急20周年記念 253系 新エクステリアデザイン」お披露目イベントを見ました。
直通特急「日光」「きぬがわ」に使われている253系が塗装変更になり、今までと一転して青基調で黄帯入りというカラーリングに一新されました。
今回は新宿から東武日光のこの車両を使ったツアー列車「青い日光号」が運行され、東武日光到着後にイベントが行われて一般向けにもお披露目されたという形です。
多くの人からも言われていますが、青に黄帯という塗り分けは東武東上線で昔に運行されていた「フライング東上」を彷彿させるカラーリングですね。
なお外装は今までとは全然違うイメージのものに一新されましたが内装の変化はなく、車内は非公開でしたが覗いてみたら今まで通りでした。
一般公開は折り返しで回送されるまでの間行われていて、その間は入場券や乗車券さえあれば自由に見ることができましたが、そんなに混んではいなかったし撮影マナーも特に悪くはなかったので、終始落ち着いていたのは幸いです。
253系公開を見終えた後は再び改札外に出て、駅周辺を散策。
駅前の土産店の裏に小さな稲荷神社があり、Googleマップではただ「お宮さん」(渡瀬恒彦ではありません)とだけ書かれていて、個人宅の稲荷神社の可能性が高いですが詳細は不明です。
また近くに、大部分の建物が解体されて更地になっているも蔵だけ残してあるところがありました。
蔵を保存するとか再活用するとかそういう意図があるようですが、今のところは更地にポツンと蔵だけ残されている状況です。
その後はJR日光駅方面に歩き、近くの白山神社を見た後に日光駅の駅舎を撮影。
観光輸送に関しては東武の圧勝という状態が長年続いているし、JRと東武の直通特急ができたことでJRも東武との対抗は完全に諦めている状態であることから、今では完全にローカル線になっていますが、かつては国鉄も東京方面からの直通列車を走らせていて、立派な駅舎にその名残を感じることができます。
なお、国鉄時代は駅舎2階に1等車利用客用の待合室「ホワイトルーム」があり、現在は歴史展示室として活用されています。
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往年の華やかさを残す内外装や展示物はいいのですが、「デラックス準急」と呼ばれた157系にジュークボックスやサロン室が設置されていたという明らかに出鱈目な記述があるのはいただけません。公式が出鱈目書いたらマズいし、まさかAIの回答丸写しなんてことはないですよね?
ジュークボックスやサロンが設置されていたというのは東武の1720系「デラックスロマンスカー」のことであり、157系は座席こそ当時の特急の151系と同等のもので準急にしては立派ではあったけど、サロンもジュークボックスも設置されていなかったはずだし、登場当初は冷房も搭載していませんでした。この157系は、後に冷房改造されたら特急と遜色ない内容になったことから伊豆方面の特急に転用されましたが、防錆対策もままならない状態で特急の固定窓っぽく見える下降窓を採用してしまったせいか老朽化の進行が早かったらしく、極めて短命に終わってしまったという悲運な側面もあります。
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そして、帰りの電車の時間が来たので東武日光駅に戻り、特急連絡・・・もといワンマン普通の南栗橋行きに乗車。
かつては東武日光と下今市の間に特急「きぬ」との接続に特化した「特急連絡」という列車があり、大部分は6050系が使われていたけど、早朝に2本だけ時刻表で「特急車両接続」と記載されて100系スペーシアを使う特急連絡があり、6050系の特急連絡はあくまで普通列車の一つだったけど、スペーシアを使うものだけは接続先の「きぬ」の特急券を持った人しか乗車できなかったそうです。
車両が20400系に置き換えられて、車内表示器がついたり制御装置がインバーター制御になって機器や設備は近代化されたけど、あくまで一般的なロングシート車なので、6050系時代に比べるとだいぶ味気ないものになってしまった気がします。
下今市では、新宿行きの特急スペーシア日光が先に出るなどして少し待ちましたが、SL機関庫をホームから見える範囲内で撮ったりして時間を潰しました。
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そして下今市から、「スペーシアX10号」に乗車。
行きは指定券が取れませんでしたが、帰りは無事に指定券が取れて念願の初乗車です。ちなみに朝満席で乗れなかった列車と同じ第3編成でした。
今回は横4列のスタンダードシートにしました。スタンダードシートでも他の特急に比べて料金が高く設定されているのですが、前後のシートピッチが非常に広くJRのグリーン車(1160mm)に近い1100mmを誇ります。
横3列のプレミアムシートだと1200mmでさらに広くなります。
また、5号車には完全個室ではないけどパーテーションで仕切られてプライベート感のあるボックス席が2区画設置されています。
そして駄目元だったけど余裕で指定券が取れただけに若干の空席があって、なかなか指定券が取れないと言われているスペーシアXも、需要が少ないであろう平日夕方の上りなどは穴場なのではと思われます。
また、同じ車両に整形前のスザンヌみたいな人と中条あやみ似の怖いお姉さんI氏っぽい人がいました。
下今市を出た後は他の特急と停車駅は同じで、栃木からはゴルフバッグを持った人が多く乗ってきたほか、春日部から乗ってくる人が意外と多いのも印象的でした。
私のようにケチな人間だと、春日部くらいの距離では特急券それも普通より割高なスペーシアXの特急券を買うのは尚更抵抗感があるのですが、これくらいの距離でも通勤ライナー型の特急の需要があるのを考えると、多少高くても払える人は躊躇なく払うのだなと実感しましたね。
そして浅草に到着。
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翌日も休みなのと雨が降ってきたので、到着後は雨宿りも兼ねて浅草で軽く飲むことにし、ホッピー通りの「高橋2nd」という店に入りました。
まずはビールで乾杯し、チャンジャとチヂミを食べて帰ってきました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
(1)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/30202443.html
(2)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/30202534.html
(3)http://blog.livedoor.jp/silkroad_vx/archives/30202596.html
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