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2026年01月12日11:23

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『サウンド・オブ・ミュージック』(英: The Sound of Music、「音楽の調べ」の意)><史実との違い>

サウンド・オブ・ミュージック (映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この映画の原作となったミュージカル作品については「サウンド・オブ・ミュージック」をご覧ください。
サウンド・オブ・ミュージック
The Sound of Music

監督 ロバート・ワイズ
脚本 アーネスト・レーマン
原作 ハワード・リンゼイ
ラッセル・クローズ
製作 ロバート・ワイズ
ソウル・チャップリン
出演者 ジュリー・アンドリュース
クリストファー・プラマー
エリノア・パーカー
リチャード・ヘイドン
ペギー・ウッド
音楽 リチャード・ロジャース
オスカー・ハマースタイン二世
アーウィン・コスタル
撮影 テッド・マッコード
編集 ウィリアム・レイノルズ
配給 20世紀フォックス
公開 アメリカ合衆国の旗 1965年3月2日
日本の旗 1965年6月19日
上映時間 174分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $8,200,000
興行収入 アメリカ合衆国の旗カナダの旗 $158,671,368[1]
世界の旗 $286,200,000
配給収入 日本の旗 4億2327万円[2]
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The Sound of Music (Original Motion Picture Soundtrack) - ユニバーサル・ミュージック・グループ提供のYouTubeアートトラック
『サウンド・オブ・ミュージック』(英: The Sound of Music、「音楽の調べ」の意)は、1965年に公開されたロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画。20世紀フォックス配給。

【略】

史実との相違点
→「トラップ一家(英語版)」も参照

トラップ一家(英語版)(1946年1月24日)
本作品は、あくまで「『マリアの自伝を基にしたミュージカル』を原作とした映画」であり、元のミュージカルの時点から史実とは異なる点が多々ある。

実際にはオーストリアにおいてもドイツによるオーストリア併合を支持する国民が圧倒的に多く、動画サイトなどではこの映画の演出と異なりドイツ国旗を振りながら喜んでドイツ軍やアドルフ・ヒトラーを迎えるオーストリア国民の群衆を見ることが出来る。ドイツ軍進駐後にドイツ政府によって行われた国民投票では99パーセントが賛成したとされる(詳しくはアンシュルス#オーストリア消滅を参照のこと)。『菩提樹』ではオーストリアの民衆が歓声をあげてドイツ軍を迎える様子を伝えるラジオ放送をトラップとマリアが苦々しい表情で聞いている場面がある。
映画およびミュージカルではマリアは修道院の紹介で修道女の身分のままトラップ家に家庭教師にやってくるが、史実では家庭教師になった時点で既に修道女を辞め修道院を出ている。その理由も作中と異なり、修道院の暮らしに馴染めずに体調不良に陥ったことで転職を勧められたためである。
ゲオルクには前妻アガーテとの間に子供が7人いたが、マリアが家庭教師として教えたのは最初は次女(名前は同じマリア)であり、後に長女(母と同じアガーテ)に教えていて、7人全員の家庭教師ではない。
ゲオルク・フォン・トラップの役名は、1956年と1958年に西ドイツで製作された『菩提樹』や『続・菩提樹』ではバロン・フォン・トラップであり、「トラップ男爵」と訳されている。1965年のこの作品ではキャプテン・フォン・トラップとなっていて、映画の中では「キャプテン」と呼ばれ、マリアも「キャプテン」と呼んでいる。しかし婚約していたエルザは彼を「ゲオルク」〔英語風にゲオルグ〕と呼んでいる[19]。ゲオルクは結婚式のシーンで少佐の制服(オーストリアでは中金線3条)を着用しており、映画製作者側のゲオルクの設定に対する構想の変遷を垣間見ることができる。
ラスト近くで「トラップ・ファミリー合唱団(シンガーズ)」の名でザルツブルクの音楽祭に出演しているが、この楽団名はアメリカに渡って戦後になってから改名したもので、この当時は「トラップ・ファミリー聖歌隊 (Choir)」と名乗っていた。
当時の実際の合唱団にはゲオルク・フォン・トラップの7人の連れ子の他に、マリアが産んだ二人(後にアメリカで3人目が生まれた)の子供も加わっており、ラストの1938年当時は7人の連れ子はすでに大人[注 6]であって、マリアが生んだ二人[注 7]だけが子供であった。これは、実際に二人が結婚したのは1927年で、ラストの出国当時はそれから11年後の話であることによる。そして1956年に西ドイツでマリア・フォン・トラップの手記を基に映画化された映画『菩提樹』で、時代設定を10年ずらして、二人が知り合い結婚してすぐに出国するストーリーにして、子供の顔触れも変えずにしたための矛盾である。『サウンド・オブ・ミュージック』も『菩提樹』の時代設定を踏襲している[20]。
音楽好きの家族で合唱団を結成して、音楽のコンクールに出ることになっているが、実際は大恐慌によりゲオルクが資産を預けていた銀行が倒産。無一文となったゲオルクに対して、マリアは神学生に下宿を貸出して金を稼ぎ、その下宿人だった神父フランツ・ヴァスナーが子供たちの音楽指導を行ったのであり、音楽指導を行ったのはマリアではない。『菩提樹』では、教会へのオルガンの寄付を依頼しにトラップ家を訪れたヴァスナー神父が子供たちの歌声を聴いて飛び入りで合唱指導を始める、という設定になっている。
この映画は全般的に親衛隊と突撃隊とを混同して演出している。なお、突撃隊はナチス内部の権力闘争の結果この映画の舞台となった1938年にはその活動は下火になっている。ラストで追われるトラップ一家を追跡する一隊の制服は、ツェラーの副官は黒色の制服(親衛隊)だがその下の隊員(ロルフら)は褐色の制服(突撃隊)である(ただし、アンシュルスがあった1938年3月に一般親衛隊の制服は黒からフィールドグレーに変わっており、黒服は予備親衛隊員などが着るイレギュラーな存在となっていた。詳細は親衛隊と突撃隊および、制服 (ナチス親衛隊)、制服 (ナチス突撃隊)を参照。)。
トラップ一家が生まれ故郷オーストリアを離れることを決心したのは、ゲオルクの元に召集令状が届いたためだけでなく、ドイツ海軍の潜水艦艦長に就任するように要請され、また長男ルーペルトがユダヤ人医師を強制収容所送りにした後の病院に勤務することも要請され、さらにヒトラーの誕生日にミュンヘンのラジオ局でトラップ一家が歌えと要請されて、いずれも断ったことで、オーストリアに留まることが危険であると判断したことと、当時ナチス党員であった執事のハンスがオーストリア国境がもうすぐ閉鎖されることを伝えたことが大きい[21]。
映画ではコンクールの最中に徒歩で逃げ出してナチス親衛隊の追跡を振り切るが、史実では周囲に全く気づかれないように普段着で家の裏庭を出て、北イタリア行きの列車に乗ってイタリアの南チロルの山に逃げ、国境を越えてフランスへ列車で移動し、そしてイギリスに渡り、サウサンプトンから船でアメリカに向った。映画のようにスイスへの山越えではない。ところでなぜイタリアに行ったのかについては、当時トラップ一家は戦前オーストリア領で戦後イタリア領になったトリエステで市民としてイタリアの市民権を持っていて、まだ独伊同盟が締結される前年で、オーストリア併合に反対したイタリア国内の動きからナチスといえどもイタリア市民権を持つ者を勝手に逮捕することが出来なかったことによる[22]。
オーストリアを脱出する山越えのシーンは視覚効果のためか、ザルツブルクからスイスの間を結ぶ通常のルートとは全く異なる場所で撮影された。現実のザルツブルクから歩いて山を越えると、そこはドイツ(バイエルン州)のベルヒテスガーデンである。近辺にはアドルフ・ヒトラーの別荘すら存在する。ザルツブルクはドイツとの国境が近く、その半分以上の方角がドイツとの国境である。そしてザルツブルクからスイス国境までの間は相当な距離があり徒歩で移動するには遠すぎる。地元住民の視点においては非常に不自然なラストシーンである[23]。
実際のマリア・フォン・トラップも活動的ではあったが、同時に勝ち気な癇癪持ちでもあり、ゲオルクの方がむしろマリアを優しくなだめる一家のまとめ役であり、音楽好きな性格であった。渡米後にトラップ・ファミリー合唱団が解散したのは、ゲオルクの死後マリアだけで子供たちをまとめきれなかったのも一因とされる。
伝記がミュージカル化される際、マリアは事実がフィクションとして脚色して描かれること自体には寛容だったが、亡き夫ゲオルクが厳格かつ横暴な人物として描かれるシーンにだけは納得しなかった。
オーストリア・ドイツ等における否定的な評価
『サウンド・オブ・ミュージック』は、地元のザルツブルクを含むドイツ語圏ではヒットしなかった。それはこの映画が当時のオーストリアの現実とまったく異なるものであることに起因する[24]。そのため、オーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまでこの映画は1度も上映されていない。また、第一次世界大戦当時の敵国であったイタリアなどではトラップ艦長は商船を攻撃した極悪人であり、それがイタリアと第二次世界大戦時に同盟国であったドイツに抵抗する英雄で格好よく描かれているという点で反感を買い、本映画の上映が禁止されている町すらある。

しかし、西ドイツではこの映画の9年前、ミュージカルが作られるより以前の1956年と1958年に同じくトラップ一家の物語を題材とした映画『菩提樹』、『続・菩提樹』が制作されており、ドイツ語圏での『サウンド・オブ・ミュージック』の不評とは対照的に『菩提樹』は「1950年代で最も成功したドイツ映画のひとつ」とも言われている[25]。

本作品では、映画の冒頭に字幕で出てくる「オーストリア 1930年代 最後の黄金の日々」という表現のとおり、ナチスが台頭する以前のオーストリアが自由で民主的な国であり、ゲオルク・フォン・トラップがその自由を守るシンボルとしてナチスと戦うように描かれているが、実際にはそうではなかった。

彼の立場はオーストリア・ファシズムと言われる時代の考え方を支持するものであって、1930年代初めに議会が停止されて社会民主党や労働組合が解散させられ、ナチスも抑え込まれた状況下での当時の首相フォン・シュシュニックを支持していた。そして、古い体制を支持(映画中のパーティ―において彼が燕尾服の首から掛けて佩用している中綬章タイプの勲章は古いファシズムを表すものである)して、結局ナチスとの権力争いに敗れたのであって決して自由と戦う者とは違うものであった[26]。

そのため、戦後中立を標榜したオーストリアにとって、戦前のオーストリアも自由を抑圧した体制であり、やがてナチスに迎合して合邦された苦い歴史を作ったオーストリア・ファシズムを支持するトラップ一家は、単に権力争いに敗れて亡命を余儀なくされただけであり、戦前の体制を擁護する映画であると見られている[26]。

ゆえに、この映画の内容を鵜吞みにして、ナチスに走ったツェラー、ロルフ、フランツを単純な悪役にしていては当時の複雑なオーストリアを理解することは難しい。本作品は日本におけるオーストリアのイメージを最も強く歪めてきたと言われている[24]。

なお、映画で家政婦も執事もナチス党員で監視する悪役のような描写になっているが、西ドイツ製作の『菩提樹』では史実に沿って執事が党員でありながら手引きする場面があり、長女アガーテが半世紀が過ぎた後に回想記で感謝の念を述べている[27]。

豆知識
ジュリー・アンドリュースがトラップ邸を初めて訪れる直前に「自信を持って」を唄いながら街を歩く場面で、原作者のマリア・フォン・トラップ本人がワンシーンだけ通行人として映画に出演している。「フォン・トラップ夫人が姿を見せるのは、ヒロインがドームとレジデンツをつなぐアーチをくぐるショットにおいてである。後ろで民族衣装の女性3人が左から右に歩く。それがトラップ夫人と娘ローズマリー、孫娘バーバラである。」[28]
エリノア・パーカーが演じたエルザは、役名がBaroness(バロネス(爵位))となっており「男爵夫人」とも訳されて表現されているが、夫人では婚約相手になれないし、先立たれた未亡人かどうかは映画の中では明らかでない(劇団四季の公演では夫に先立たれた夫人という表現がある)。このBaronessの言葉には女男爵という意味もある。ただしこの役はこの作品のための架空の人物であり、正式な役名はエルザ・シュレーダーで、父が子供たちに彼女を紹介する時も、子供たちが父が婚約したことをマリアに伝える時も「バロネス・シュレーダー」と映画の中で呼んでいる。
修道女の一人、シスター・ソフィア役はマーニ・ニクソンで、映画『王様と私』におけるデボラ・カー、映画『ウエストサイド物語』におけるナタリー・ウッド、映画『マイ・フェア・レディ』におけるオードリー・ヘプバーン等の歌唱部分の吹き替えをしていた。
長女リーズル役のシャーミアン・カーは将来を嘱望されていたが本作の直後に結婚出産したため女優業を引退してしまった。しかしながらこの作品の思い出話などの講演依頼が途切れることはなく、それなりの副収入になっていたと本人は語っていた。
アメリカでの初公開(1965年3月2日)当時、トラップ大佐役のクリストファー・プラマーは35歳(1929年12月13日生まれ)、マリア役のジュリー・アンドリュースは29歳(1935年10月1日生まれ)。実話ではトラップ少佐(後述のように大佐ではない)はマリアより24歳9か月年上であった(トラップ少佐は1880年4月4日生まれ、マリアは1905年1月26日生まれ)。また、第一子であるリーズル役のシャーミアン・カーは、当時UCLAの学生で22歳(1942年12月27日生まれ)であったが、16歳の長女役を演じた。なお、シャーミアン・カーと末子であるグレーテルを演じたキム・カラス(1958年8月4日生まれ)の年齢順はストーリーの設定・演者の生年月日と一致するが、他の子役については必ずしも一致していない(詳細は英語版の個別記事を参照のこと)。
トラップ准男爵はかつてオーストリア海軍の潜水艦隊司令官を務めていた。第一次世界大戦中多くの戦果をあげ、その功績によりいくつかの勲章と准男爵の爵位を得ている。ドイツが准男爵を引き込もうとした背景には、こういった戦歴や名声を政治的宣伝に利用する目的もあったと思われる。
当時20世紀フォックス社は、巨費と歳月をかけた超大作『クレオパトラ』の失敗で倒産も囁かれていたが、この映画の空前の大成功により経営を立て直すことができた。収入はアメリカだけでも7900万ドル、これは当時の配給収入記録の最高額である。
2010年12月、製作45周年記念して、HDニューマスター版:ブルーレイ・コレクターズBOX(数量限定生産)が発売された。なお、HDニューマスター版:ブルーレイ盤はDVD盤同様に、正規レンタルも行われている。
ミア・ファロー、リチャード・ドレイファス、カート・ラッセルなどがトラップ大佐の子供役でオーディションを受けたが落選している。
マリア役にグレース・ケリーやドリス・デイなどの名前があがっていたが監督は『メリー・ポピンズ』がまだ公開される前で無名のジュリー・アンドリュースを選んだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
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