mixiユーザー(id:16600073)

2025年10月04日06:49

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恐れ知らずの津軽信枚 という話

先日に白鳥長久云々で日記のネタにした、弘前藩二代目の津軽信枚。後に遮光器土偶が見つかる亀ヶ岡に新たな城を建てるために 後北条氏で城普請に関わっていた大道寺直英(大道寺政繁の後妻の連れ子)を登用。外堀まで作ったけれど、一国一城令で建てられなかった…というエピソードの人でもある。

よく確認してみると、亀ヶ岡城の建設着工が1616年。一国一城令は1615年に出ているので、一国一城令を承知で着工した挙げ句に、幕府からダメ出し食らってぶん投げたことになる。

一国一城令は割と例外多くて、久保田藩(佐竹)は城を3つ持ってたりしたのだけれども、それは甲斐源氏の名門たる佐竹を僻地に飛ばしたことへの多少なりとものお詫びみたいなもので、成り上がりの外様である津軽氏が同じ扱いのはずはないだろうと。なぜ2つ目の城がいけると思ったのか。

そうでなくても、信枚は石田三成の娘を妻にした挙げ句に男子を産ませている。それで城を増やそうとしたら、逆心疑われかねない話。当時はもっと適当な理由で難癖つけられて領土没収される大名が沢山いたわけで、信枚の恐れ知らずっぷりにはビビらされる。よほど立ち回りに自信があったのか、津軽人の気質とされる「じょっぱり(強情っぱり)」が極まっていたのか。よく分からない。

まぁ甲斐源氏の名門の佐竹に比べて云々と書いたけれど、津軽氏は実際には南部氏の分かれだろうし、南部氏は甲斐源氏(甲斐の加賀美氏の一族)なので、津軽氏も佐竹同様に甲斐源氏なのだろう。もっとも、分離独立してしまった手前、南部からの分かれだと体裁悪かったのか、カネを積んで近衛家の一族になってしまったけれど。
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