江戸文化の本を読んでたのだけれども、釣りの指南書を書いたという旗本として「津軽政兕(まさたけ)」の名前。見たことある名前だよなと思ったら、弘前の支藩にあたる黒石藩の藩主だったオチ。旗本?と思ったのだけれども、政兕の頃は一万石なかったので大名とカウントされてなかった。
政兕。釣り指南書以外で知られているエピソードは、若くして死んだ嫁の実父が吉良上野介で、討ち入り翌朝一番乗りで現場に入ったのが政兕だったという話。吉良を含めて死者十数人、負傷者二十数人なのだから、かなり凄惨な現場だったはずで、目の当たりにした政兕はどんな感慨を抱いたのだろうかと。
黒石藩。弘前ニ代目の信枚が、わざわざ徳川家から正室(家康の養女)を貰ったのに、側室(石田三成の娘。正室だったが、徳川からの輿入れにはばかって側室に落とされた)との子に跡を継がせてしまい、正室の子を家臣に落とすわけにもいかないので分家させた みたいな話。
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