源平合戦に登場する足利氏は2つ。俵藤太こと藤原秀郷に連なる系譜と、八幡太郎こと源義家に連なる系譜。佐野氏の初代である基綱は秀郷に連なる方の足利の一人。
本家が頼朝と敵対して滅んだのに対して、基綱は当初から頼朝方として行動。承久の乱でも活躍して、西国に領土をもらっている。もっとも、その後の宝治合戦で三浦方についてしまい、本領以外は全部没収されたらしいが。
基綱はコーエーの「源平合戦」にも武将として登場するが、弓術が70台くらいなだけで、他にはこれといった特徴がないという印象。
閑話休題、しぶとく生き残った佐野氏は、戦国になって北関東でそれなりの勢力を誇ったが、北条の圧力には抗い難く、北条から養子を迎える形でその傘下に加わるが、秀吉の侵攻により北条氏は滅亡。しかし、北条から養子を取った際に離反した者が秀吉に仕えていて、その人物が秀吉の奉行の一人である富田一白の子を婿養子に迎えるという条件で佐野家を継ぎ、佐野家は大名として存続。
佐野氏は関ケ原でも東軍につき大名の地位を保ったが、跡を継いでいた婿養子の元々の実家である富田氏が騒動を巻き込まれてしまい、実家に連座する形で取り潰しになってしまう。
佐野氏が取り潰しに合った騒動。
・富田の当主(佐野の当主の実兄)の妻は坂崎直盛(宇喜多詮家)の姉
・坂崎直盛(つまり宇喜多詮家)は小姓を愛人にしていた
・直盛の甥と小姓が密通。キレた直盛は、家臣に小姓を殺させる。
・それにキレた甥っ子が、小姓を殺した家臣を殺害。おばのいる富田家に逐電。
・キレた直盛は、法を盾に甥っ子の身柄引き渡しを要求。富田家は知らぬ存ぜぬを繰り返す。
・数年後、富田家から裏切り者が出て、富田が甥っ子を支援していた証拠が 直盛の手にわたる。
・幕府の裁断によって富田と佐野の取り潰しが決まる。
異様に処分が重いことから、男色云々のそれは口実で、実際には大久保長安がらみの粛清だったのではないかという説があるし、そちらの方が納得できる感はある。
佐野はその後に罪を許されたが大名には復帰できず、旗本として幕府に仕えることになった。直近のべらぼうに出てきた佐野家がこれにあたる。元々は大名だったというのは それなりのステータスなはずで、その辺が家系を巡るイザコザに繋がってしまった ということだろうなと。
大久保長安と繋がって没落して、150年後に田沼意次と繋がろうとして刃傷沙汰。なんだかなとは思う。
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