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2025年04月02日11:48

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吟醸酒のふるさと東広島・西条 (7)

松木津々二さんが改めて読み易いフォームでアップしてくれましたので、私のはこれで
終わりにいたします。

西条が日本の酒都になる。
 東京で春と秋に開催される全国規模の酒の品評会では、西条の日本酒がいつも上位を
 占めていました。西条酒造学校が開校した年に、全国清酒品評会で初の名誉賞が木村

 静彦と石井峯吉、そして伏見の大蔵恒吉の3人に与えられました。この三人の受賞酒
 は吟醸造りという技法で醸造されたもので、それは「広島流吟醸造り」と言われるよう

 になって全国に広がっていくのです。西条はその中心にありました。静彦は峯吉と協力
 して新たな出資者を募りさらに第二・第三の酒造会社を設立し、鉄道の貨物駅の南側に

 引き込み線を敷設し、そこの酒造三社からは瓶詰場から直接貨車に積み込まれて全国へ
 出荷されました。その三社の酒造会社の蔵や酒造施設はどんどん拡大して隣の吉土実村

 まで広がっていきました。昭和4年に県の醸造試験場が西条の上市に移転して橋爪陽が
 初代場長として赴任します。西条農学校の南側にあった県農事試験場では、酒米の試験

 栽培が行なわれ、さらには街並みの中に三つも精米機の製作所がありました。当時の
 最先端の清酒造り技術が集積されたこの町は、全国の清酒造りの中心地、日本の酒都

 となったのです。
全ては戦争によって消えた
 
  酒都西条と呼ばれた日本一の名醸地西条も、その後の太平洋戦争によって、繁栄は
 失われて、終戦後に産業としては復興しましたが、栄光の歴史は次第に人々から忘れ

 去られていきました。そしてコメ不足の時代が長く続き、まともな日本酒が造れなかっ
 た時代に生産量が全国三位になったことで、三大酒処の一つに数えられたこともあり、

 だが、かつての日本一の酒造処西条の歴史はもはやなく、言葉のみが残りました。戦時
 中の原料米の統制で清酒は醸造できなくなって、戦後に復活できた酒造元は戦前の半分

 でしたが、その後も更に減り続けてこの町の中だけで、今や数社となっています。しか
 し知っていて欲しいのです。東広島市役所のある西条の町がこれほど発展出来ているの

 は寂れゆく街に新たな産業を興し、町を生まれ変わらせた人達の物語を。。。、それは
 地元の人たちだけの話ではないのです。現在の呉市や青森県からやってきた人と、現在

 の東広島市に生まれた人たちが力を合わせ、今のこの街の基礎を作ったのです。
吟醸酒のふるさと東広島

 戦後に高度経済成長によって復興を果たした我が国に、吟醸酒という新しい日本酒が
 生まれた。そのルーツは戦前に現在の東広島市域で育まれた吟醸造りという技術と、

 佐竹利市が開発した「研削式竪型精米機」が進化し、戦後に「球状研削精米機」の
 開発によりできた酒米の精米歩合によって醸造ができたことによります。吟醸酒が

 全国の酒造蔵で製造されているのは、100年の昔からこうした技術が開発されてきて
 その技術を全国に広めていった人たちがこの東広島市に居たからです。

 終わりに
  日本酒造りは、バイオテクノロジーを集積した技術です。その技術は化石燃料を大量
 に使って繁栄してきた私たちが反省の心を持ち未来を切り開く技術の一つでもあります
 たとえ日本酒造りが衰退していこうとも、この東広島市で生まれたバイオの技術は、こ
 れから未来を切り開いていく新たな産業にもなる筈です。その魂の源がこの街の歴史の
 中にあるのですから。
 西条小学校のオペラ「白壁の街」の中に昔の人達の酒造りの苦労を混ぜて演出してくだ
 さることを大いに期待申し上げます。 

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