HImaP&Σ 渡部学(ワタナベマナブ)。
2024年11月28日(木)日本時間、AM10:08、北海道紋別市。
妄想話が多いので、わからない人は渡部学の想像物語の一つとしてお受け取りください。
渡部学は嘘も言うし、平気で悪口も嘘もいう時はあります。
自分自身気付かないこともある。
そういうことでね。渡部学を理解してくれる人だけにする話。
人格が飛び回ることを知る。
そこで思ったこと。記憶でしか証拠にならないこともあるが、それでも不利になること。有利になること色んなのある。有利になることでもあるが、今回はそれの不利になる場合をお話する。
自分自身の肉体は自分自身に一つだけって常識だった。
だが、姿を自分自身は自分自身にしか見えないのに、全く別人の姿に見えるということを知ったのですが。
そこで疑問に思いました。自分自身は自分自身にしか見えないけど、姿に別の人が別人に見えてるのは実はそれは渡部学が使ってる肉体がもう産まれてきた渡部学の肉体ではなくて、別人の肉体であって、渡部学が憑依してる本人でそれに気付かないで、ただ鏡で見る姿が自分自身には渡部学であっても、他の人に見えてるのは別人に見えてるのではなく、使ってる肉体の本来の見た目とかだったら?
もしくは自分自身が自分自身に鏡で見えてるけど、他人には別人の姿に見えてるだけか?
ここは大きく分類が分かれることだよね。
色んなルールに縛られる中でも。自分自身がどれかであるか?認識してないと。自分自身を守ることさえわからない、ルールも知らないじゃどうしようもないし。
悪意、敵意、害意ある人達の攻撃の策略にハマる。
例えば、自分自身の記憶にはないのに、誰かと犯罪を犯した。記憶も意識も途切れてる時にそれをやられたとして。周りが無認知だったら犯罪者は記憶が無くてもその人が犯罪者になる。表面上のルールではそうなる。
だとしても逆に自分自身が他の人の肉体を使っても、有利なのは、自分自身が善良な場合は誰かの肉体を使ってもさほど害にはならない場合
でもそれを害あると判断されたら困る場合もある。
だからこれには未知の領域を知ることで色んなルールの中でも情状酌量の余地あるものか?
本当にだめか?
善良か、悪質かということがある。
よく母とあるのは、ちゃんと予(あらかじ)め説明すると、いちいち説明うるさい。一言一言癇に触るって怒るのに、言ってなければ、言わなかったからでしょ?って言うし。
そういう駆け引きというか、なんというか。現実にも、間接的にもあって。
言わなくてもわかるでしょ?ってことが自分自身に有利な時と、言わないとわからないでしょ?って自分自身に有利なことがあって。
逆にそれを上手く敵対者に悪用され、不利になるときだってある。
渡部学ってやっとそこまで理解してきたからこそ、言える想定内のことで言うこと。
だから後手になっても不利を逆転できる可能性も増えた。味方とともに。
自分自身にとって有利に都合よく生きれるためのやっぱり競争というか、鬩(せめ)ぎ合いなのだ。
自分自身の有利な境界範囲、領域を増やすこと。
それが幸せに繋がる。
タイムリープや事実確定ですら、記憶が証拠というが、大きな未知の領域を理解し、そうことを利用可能な人達が手を組むんですること、もしくは、自分自身の分身体を多く持つことで有利にしていく、事実の改変さえあること。
それは事実確定され改変されたものにはその全容すら動かせないが、それを改変の記憶を持ち知ってる人達が必ずいて、それが渡部学の味方ならそこでまた鬩(せめ)ぎ合いが生じること。
だから未知の領域を知ることって本当にわかるように成長させてくれたことに感謝しかないし。
わかったからとて、防げない、自分自身を守れない、敵(かな)わない敵(てき=Enemy)もいる。
だから理解しても防げない、無力はあるけど。
わかると知らないでは断然に違ってくる。
広報してると、意味がわからない、そんな世界あるの?
ってざわつく人達もいるかもね。
わからないことをわからないのは渡部学も同じ。
わからないことがないのは生きてる人間にはいて、それは神に近い存在に位置する人間。
先人達はもうすでにそれを決定づけてる。
あとに産まれた人間はその中で知ることを学ぶだけ。
それだけですね。
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