東日本大震災の折に、都内や神奈川県に避難して来た被災者を見ていた。
毎日お風呂に入れるが、避難して来た被災者が南関東で本当に幸せになれるのだろうか?。
環境が激変して都会っ子に囲まれて暮らす被災した子供達が、南関東で何が有ったのか、故郷を離れて大変に生き辛そうで苦しそうな様子だった。
たぶん、訛りをからかわれ、放射能が伝染すると謗られ、生活習慣の違いを嘲られて屈辱の日々だっただろう。
高齢者は被災地から都心部に避難して来て、それまでのコミュニティや人間関係を喪い、病状の悪化を招いて、関連死なさる方々も多かったのが実際だ。
私のパートナーは仕事の都合で九州地方から南関東に出てきて就職し進学し、通った高校の同級生達に九州での日常生活を話すと、同級生達から
「嘘つき、そんな事あるわけ無い」
と謗られていたと言う。
負けん気の強い九州男児であるパートナーは本来的な育ちの良さも功を奏して都内での生活に適応し、今では立派に社会貢献し都内一部で指導的立場にも身を置いている。
私はと言えば、未だに訛りをからかわれ馬鹿にされ差別を受けながらもパートナーのサポートが少しでも出来て幸い、私なりに社会参加を細々と続けている。
被災地から避難して来て、一息ついても束の間、また別の艱難辛苦が待っている。
東日本大震災から1年後、苦しみ葛藤し都心部の生活に孤独を抱えながら同じバスに乗り合わせた少年の、あの苦しみに満ちた表情が記憶から消えない。
ただ、
(生きているだけで辛く寂しく孤立感に苛まれていても、その苦しみを親にさえ打ち明けられないんだろう、親さえ生活に精一杯で子の苦しみに寄り添う余力も無いのだろう)
とは感じた。
令和6年の今日現在、もう20年も住んでいる都内で私は未だに北関東弁の訛りを嘲られて差別されている。
毎日お風呂に入れて、暖かいシャワーを浴び、衣食住に不便は無い。
しかし、生活インフラだけでは、人は満ち足りた幸福には至らないのだ。
東日本大震災から私が得た教訓は、
『誰もが故郷を離れて幸せになるとは限らない』
とした事実だ。
被災者の願いや思いや要望に、先入観無しに真摯に耳を傾ける事だ、それが何より今後の関連死を減らすだろう。
東日本大震災から時を経て、今でも被災者の立ち上げたネットコミュニティに身を置いていた時期の事を考える。
東日本大震災は、私と東北の人々で作り上げた小さな小さなネットのコミュニティを奪った。
震災に破壊されたあの小さなコミュニティで積み重ねた交流と喜びを思い出すのが、今は辛い。
■高齢者200人以上を被災施設から移送 能登半島地震 停電・断水、職員も疲弊で高齢者の健康状態悪化が懸念
(TBS NEWS DIG - 01月12日 20:37)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=7709237
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