HImaP&Σ 渡部学 わたなべまなぶ
ドラマ 女神の教室
これからわたなべまなぶが言う事は、常識をわきまえた人達なら言われなくてもわかることです。
女神の教室を観ていると、法律家つまりは弁護士を目指す学生の話です。
2話目から初めてみる。そして、今、2話をやっと録画をみた。
これを観て思うのは、意識のレベル。人間として、弁護士を目指す上で必要な人格と性格が伴ってないと感じることだ。
それは学生達は勉学つまり、受かるために知識だけを欲してるところがドラマでは見受けられた。
だけど、教師役の北川景子さんの役は、裁判官であり、移動し、ロー・スクールの教師として赴任して教師をする話だ。
2話では法律の裁判の決議法案と、憲法も関わることを教えていた。
だが、生徒はやっぱり裁判を審判される人を見るのではなく、法律の知識の中で一般的に多数決の方に決めつけている。
しかも、効率の早急な決めつける決議をしていた。
2話を観て思ったのよ。弁護士を目指すにあたってそんなことでは、弁護士には成ったとしても弁護士としては程度の低い弁護士になったり、金に目がくらみ、依頼者を選び、簡単な裁判、弁護士に都合が良い法律審判になると思った。
もっと熟考し、裁判では弁護士もまた人の人生を背負うことを考えて誠心誠意で時間がかかるもの。
効率よく、自分自身の都合が良い審判にしようとする学生達はそこから弁護士としての本当に必要なことをまだ理解してないように思う。
裁判官は最終審判者ではある。だからこそ裁判官は善悪を見定め、熟考の末に人の運命を人が背負い判決するもの。だから責任は重体なものだ。
だが、しかしその判決の法案や事案を傾けるのは違反者や犯罪者達の善意や本質や事故での仕方なかった犯行や行為を情状酌量の余地を確立したり、冤罪を防ぐためにいる。
冤罪を防ぐのは検事や警部や監察が調べるとはいえ、完全完璧を約束するものではない。
それゆえにこういう法律家が世界には必要であり、先入観や一般的多数決の常識を覆す事案もあるはずなんだ。
今回、女神の教室を観て、学生達に欠けてるものはその正当な心や善意について、どこまで事案のパターンが分かれることになるか。
決議を終結させようとした学生達は弁護士を目指すならまず、終結をするために熟考と内容の決めつけが人の人生を左右することになることを学んでほしい。
いや、それが狙いのテレビドラマだろう。
法律や知識を貯め込んでなお、人間として大事な心をもっていないと、知識だけ知ってる冷徹な弁護士になれば依頼人が悪人でも金さえ貰えれば請け負い、法案をつくり決議を裁判官の審判を正しく機能できなくする自体になりかねないのだ。
弁護士たるもの正義に正しく、善悪もしっかり見極め、依頼人の本質や実態、事案を検討できなければ、弁護士として以前に弁護士になれても、なれなくても弁護士として欠けた人間になる。
弁護士は正しき人を手助けし、アドバイスをし、判決を本人の善意と本質が良ければ、それに限り尽力をするのが弁護士。
わたなべまなぶはそう思いながら、女神の教室を2話観て思いました。
そういうことを我々も意識させるためにテレビドラマというのはあると思う。
わたなべまなぶも今回病気になり苦しんだ。
厳密に言うと未知の領域行使できる人達の手のひらで操られた挙げ句被害にあったのだろう。
が、しかしながら権力には逆らえず、審判は日々のわたなべまなぶの本質以外の別人格憑依影響も含むわたなべまなぶの悪事として審判が下だされたのだろう。
だが、また幸せな日々に戻る。
おわり
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