実朝 日宋貿易の夢は無残な結末 頼朝とは面会拒否した中国人と“夢のお告げ”
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c268d2d0ef801d7a464f2e841c9891a2a071d8a
>(陳)和卿は、焼失した東大寺大仏殿の再興に尽力した人物
東大寺再興後は、事実上の上司である重源の荘園の管理をして生計を立てていた。しかし、外部の人間が再興の主導権を握ったことを権益の侵害と感じた東大寺の僧侶が、陳和卿に横領の罪を着せて告訴。庇護者であった後白河はすでに亡く、重源も余命幾ばくもない状況。後鳥羽は東大寺の言い分を認めて、陳和卿を追放…したのが船の建設の10年前。
かつては頼朝からの面会要請を袖にしてみせた陳和卿だけれども、異国の地で頼る者を亡くしてしまった状況では、鎌倉の権力にすがらざるをえない。実朝の前世云々の話も、あらかじめ実朝の性格をリサーチした上で、その歓心を得られるようにストーリーを準備していた というところではないだろうか。ともすれば、頼朝への面会拒否も、むしろそれによって頼朝からの評価は上がったわけで、そっちも計算づくだった可能性。
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