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2022年08月01日17:09

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佐々木定綱と阿野全成 の雑感

「鎌倉殿」ついに全成に退場フラグ 実衣とほっこり直後に大失態発覚でネット悲鳴
https://news.yahoo.co.jp/articles/8472e9204c805d60c5074c7fabc87ef3a85cc63a

全成退場のフラグは立ったのだけれども、京都にいる全成の子・頼全を捕縛処刑するはずの源仲章(生田斗真)が、次回の登場人物に載っていない。次週ラストで全成死亡で、次次週冒頭で頼全の首桶とともに仲章が登場というところだろうか。

まぁ頼全処刑には佐々木定綱(佐々木四兄弟の長男)も関わっているという話なので、頼全関係は全て定綱がやったことにしてしまって、仲章登場は実朝の代になってからかもしれない。

頼朝挙兵直後にクローズアップされて以来、ほとんど出番がなかった定綱。その後どうしてたのかというと、平家討伐で普通に活躍していて、その功績で元々の本領である近江を含む4カ国の守護に就任した。

しかし、貢納を巡って延暦寺と揉めた際、延暦寺が強訴のために持ち込んだ神鏡を、定綱の二男がを破壊。取り返しの付かないことをしたということになり、二男は延暦寺に引き渡されて斬首。定綱と残りの息子たちは一時流罪。

もっとも、一年もせずに後白河法皇の一周忌で恩赦となり、すぐに守護職に復帰。さらに晩年には検非違使職にも就いている。定綱が頼全を捕縛処刑したのも、検非違使の職責によるものなのかもしれない。

全成と定綱というと、頼朝と合流するべく寺を脱出した全成だけれども、肝心の頼朝は石橋山で敗退して行方不明。途方に暮れていたところに行き合わせたのが佐々木四兄弟で、兄弟の手引によって全成は無事に頼朝と合流することが出来た みたいなエピソードが残っている。定綱が全成の子供を殺すことになるとは、互いに思っても見なかっただろう。頼全を討ってから2年くらいで定綱は亡くなった。

定綱の子、広綱。牧氏事件で平賀朝雅を討ったり、和田合戦で和田の残党が京都に入るを警戒したりと、義時と上手くやっていたはずなのだけれども、承久の乱では京方について、在京していた義時の義兄(後妻の伊賀の方の兄)である伊賀光季を殺害。結局、鎌倉方に捕らえられて晒し首。佐々木の名跡は、幕府方についた広綱の弟・信綱が継いだ。
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