HImaP&Σ 渡部学
2021/11/26 9:04
ハッと気付かされた今日。
朝から、洗濯を母にしてもらってバスタオルと足マットタオルが洗ってるのに臭いと思い不満。もう一回洗ってって言おうとしてた。
そして、朝から母も父も仕事で出ていったあとのリビングへいく。ストーブ前のいつもの位置でまったりしようとしたら、床が繊維のカスやらなにやらで汚い。
『なんで汚くしてんだよ。汚くしたら掃除機かけろや。』
そう思ったんですよ。透析患者であるからこそ無職で今ギリギリいれる自由の身なのに。
なんも出来なくなった出来ない人になってる渡部学。
気付いたんだよ。洗濯物のバスタオルや足マットタオルが臭いと思うなら自分自身で洗濯すりゃいい。納得できるようにすればいい。
リビングの絨毯が汚いなら掃除機かければいい。
自分自身ですればいいだけのこと。
自分自身でするにも限界はあるよ。職人や業者やプロがやらないとならないことはさ。
でも絨毯が汚いとか、洗濯物が洗ってもらったのに臭いとかは自分自身でやればいいと気が付いた。
なんで気付かなかった?母がやってくれる当たり前が当たり前になり過ぎて、傲慢でわがままになってた。
『なんでこんなになってるんだよ。ちゃんとすれや。』って思ってた朝から
『いや、それくらい自分自身ですれや。そんなこともできないのか?バカタレ能無し。』って事に気付いた。
出来ない人間の典型。『なんでできないのよ。できないのよ?』って他人軸で自分自身のしてほしいことを委ねるのに、不満とルールやこだわりを押し付ける。
会社や規則やシステムルールは合理化されてるがあるので仕方ない部分はあるけど。
自宅の生活空間で思う事。
無職で自由人で何もできない能無しになってたんだな。
不満はあっても自分自身でやらない人間はできない人間。
不満あっても愚痴を言いながらでもやる人はまだやれる人達
不満を持たずにやっちゃう人はできる人なんだ。
俺ってさ。わがままでダメ人間だからついつい自分ルールに縛り、自分以外を自分自身の思い通りに動かしたいのよ。
でもそれがいつしか何にもできない無能な人間に仕立てられて慢心して高飛車になってたんだな。
それに気付いた途端に
朝からリビングの絨毯が衣類繊維とか色々落ちて掃除機かけとけやって思った事も
洗濯物してもらったけど臭いからまたちゃんと洗ってとか
自分自身で出来ることは自分自身でしないとだめだな。
世の中はさ。できない人間はできないままとは言わない。でも限界がある。
どうしたってできない事を出来るようにはならない。
それをできる人達が補うのはこの世の中の誰もが知ってるルール。
世界のルールはできる人達ができない人を助けて行くように出来てる。
助けれないならやっぱりその人間の限界の能力であってできない人間であっても限度がそこだからもう無理なんだ。
人間だから誰しも到達できないようなことをできるようにとは言ってない。
普通にできる事をできない人の手助けをする。
それだけ。
朝から俺の考え方に考えさせられた。
馬鹿だなー何にもできないやつほど他人に自分自身ができない事を注文してやらせたがる。
もちろん会社や役割分担された業務では決まった規則があるから当てはまらないことはあるよ。
でも理論は同じ。できる人達は出来てて、出来る人は出来るからこそ、自分自身でやるのが上手い、教えるのが上手い、そして助ける仕方が上手い。
世の中をよくしていく意識が自分自身に備わってないと渡部学のように、朝から自分自身ですればいい事に不満を持つ。
助け合い、補う役割分担という考え方に転換して、やれる事は自分自身でするってなると。
上手く歯車が回りだす。そして、自分自身も気分は上向きになる。
いつもいつも自分自身ばかりにやらせやがって…
ってなるとすぐさま下降気味の天狗になってしまう。
朝から気付いたんだ。
何にもできない人の典型に渡部学はなってた。
出来る人間ってのにも限界あるし、個人差あるけど、なんにもしない=できない人間でいるのはナンセンスだ。
好意で自分自身の出来る事をしておく。恩に着せない。
そして、当たり前の自分自身で出来る事はちゃんとする。これでいいよね。
あぁー何もできない人間の部類だから渡部学は頑張らないといかん。
やれはできる。やられるならやる。
おわり
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