太平洋戦争の前の「日支事変」にて戦死したご先祖の遺品を整理しています。
父方の祖母の系列の親戚ですが、父母も既に逝去していますし、私と繋がりの
あるのは、姓の石川とお墓が鉄兜を載せたお墓に入っていること位ですかね。
大変良く出来た息子だったこと、結婚前に召集され戦死でしたので男親一人を
残して戦死されたようです。後継ぎが無くなって小川家の次男の私の父親が、
養子に貰われて、石川の家を継ぐことになりました。私の父の生みの母が、
石川の家から森の小川家に嫁いできました。しかし、この母は、父が幼い頃に
亡くなりました。その後、小川家は後妻を貰うことになりました。
遺品と言っても大したものはございません。写真をアップしました。
多分遺骨を納めた箱に取り付けてきた「故陸軍歩兵伍長」の白いタスキ。
本人の手帳1冊〜出征時の餞別を頂いた御芳名リスト。住所等がある。
故人の遺影写真。
仁丹ケース~1個
1937年北京郊外の盧溝橋にて発生した事件をきっかけに始まる。南京を占領した
際の虐殺は有名。中國における権益は、日本と欧米との対立が深まり、ずるずると、
終わりの見えぬまま太平洋戦争へとつながった。旧満州の権益を求めて、中國の東北
部へと戦火は拡大した。20万6070人が戦死した。戦死が早かったので、遺骨や
遺品も遺族の元へ届いたが、終戦間際の戦死者には小石が一つ届いたという話もある。
何も届かずに戦死の連絡のみの電報だけというケースさえ少なくない。
モンゴル国境の近くで終戦を迎えた兵隊は、現地に数年間抑留された。粗末な食事や
衣住で、栄養不足で厳冬期が越せずにバタバタと死ぬものが沢山いたという。そういう
終戦後の苦労話を聞くと、名誉の戦死の方が良かったという話も納得がいく。南方戦線
でも、餓死やマラリアや風土病によって死ぬ兵士が140万人もいたという。
雪路の中の行軍の写真も遺品の一つ。線路沿いを隊列を整えて、歩いています。線路の
枕木の上を軍用犬がとぼとぼと付いて歩いています。
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