感動するかどうかは受け手が決めるもの。
ワシはスポーツ興味ないから「怪我と不調を乗り越えてつかんだメダル」とか言われても、せいぜい「すごいね。おめでとう」ってくらいにしか思わない。
世界一とか世界の上位3位だから、本当にすごいとは思う。
「その選手のためには」よかったね、とも思う。
日本がメダルを獲ったなら、まあ、嬉しいとは思う。
これは、本当にそう思う。
でも、我がことのように涙を流して感動したりはしない。
それに、ワシと違って超人的な努力を重ねた人に、それ相応の見返りがあったからって、勇気をもらえたりはしない。
だって、ワシはそんな努力はしてないのに、頑張った人が栄光をつかんだからって「何もしてないワシにもいいことあるかも?」なんて勇気が沸くわけないw
つまり、コロナ関係なく、もともとオリンピックに感動も勇気も与えられない人はたくさんいるわけ。
ましてや、変異株を輸入して拡散させる可能性の高いイベントなんて、感動と勇気どころか、不安と恐怖しか与えられないよ。
興味ない人には、恐怖しかない。
選手の夢と喜びのために、こちらの命をかけろなんて言われたら迷惑なだけ。
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逆を考えてみれば分かるでしょ。
自分には興味ない、めっちゃ小難しい文芸作品があったとして。
「この小説は、読んで感動するから読め」と、押し付けられたらどう思うか。
「え、、、? いや、いいよべつに」てなるじゃん。
ましてや、それを読むためには、疫病を蔓延させ、自分の命すらかける必要があるとなったら、、、迷惑千万だろう?
しかもそれを「皆さんに感動と勇気を与えるために頑張って執筆しました」なんて言われたら、恩着せがましいにもほどがあるよね?
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※ワシが感動も勇気も与えてもらってないから、そういう人の気持ちを書いたまで。
べつに感動と勇気をもらえたという人の存在を否定する気はありません。
そういう人もいるであろうことは分かっているので「感動して、勇気をもらえる人だっているわ!」みたいなコメントは不要です。
ワシは「そういう人もいるのは分かってる」と言ってるのだから、ワシに言わなくても結構、そういう話はご自分の日記に書いてくださいね!
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