2021/07/08 11:30〜
HImaP 渡部学
いつもながら念仏のように、善人と悪人の話をします。
善人とは人に自分自身の意思で危害を加えてない人。もしくは大きな危害を加えない人達。
悪人とは人に自分自身の意思で大きく危害を加えたり、策略し危害を仕向ける人達のこと。
悪人とは自分自身の思い通りにならないと危害を人々に仕向けてくる。
例えるなら、幼児期の赤ちゃんや幼児の泣き騒ぎ、破壊する行動に似てる。似てるのは感情的な反発心や思い通りにならずに癇癪起こすような感情を大人のスタイルで泣きわめくのではなく、怒り暴力を振るったり、危害を自分以外に加えたり、策略して仕向けたり。
それが悪人であり、悪人とは大人の姿でも言わば子供(幼児)と同じ性質を持ってることになる。
悪人とはいうが幼児タイプの悪人の話をしてる。
知能ある犯罪や知能ある悪人だけはそう簡単な話で説明できるものではない。
幼児的な悪人とはつまりは単純であり、自分自身の欲求を叶えたいだけで癇癪を起こす。
話を路線を変えて進める。
例えば、一人の悪人がいる。その悪人を全く同じ分身を対立させると、単純な悪人は争い合う。そういう低俗な次元の存在。
自分自身の分身のような人格や性格と対峙させると自分自身の悪い部分と争い合う。
こういうものだ。
だが、善人と違い、人々に危害を加える悪人でも
知能が高く、自分自身を変えていける悪人がいる。
その悪人は自分自身の分身と対峙させても、悪いところをお互いぶつけても、共存共栄したり、悪い部分を許したり、その都度に治したりする。
そういう悪人は高度であり、とても狡猾な種類である。
下っ端の悪人はやっぱり自分自身の思い通りにならないと暴力や危害を加えたり、単純に怒り散らし。自分自身の悪の因果を作り、自分自身の因果に子孫も含め飲まれることになる。
善人も確かに思い通りに生活し、思い通りを望むが、人々に危害を加えることは考えてもいない。仮に無自覚で危害を加えるような形になっていても、それは主犯が別にいて仕組んでるからになる。
善人はあくまで自分自身から望んで人には危害を加えるようなことはしない。感情を操られなければ。
悪人とはだから自分自身の分身が現れて、悪い部分で対立するぐらい低俗なんだ。
でも、世の中は言葉で当てはめるよりずっと複雑で難しい。
渡部学の思う解釈はこのようでも。
世の中は本当に複雑で、善悪や悪即斬を語るには全容がわからねば、物事や人々の本当に悪い部分を指摘し、判断するのは難しい。
それができるとしたら、生きてる人間の記憶や人格を全て征して、見ていて、それで正統な昔から長い時間かけてきた正しいという価値観に基づいて処置できる人達だろう。
そんな人達っているのか?なんてのは渡部学にもわかりません。世の中にいるとしたらって仮説の話をしてます。
悪人は自分自身の分身が居たら?悪い部分を対峙させると争い合う。
そういうもの。悪人という言葉に当てはめると難しい。
悪い性格の部分を持つ人間にはその分身の人間をもし対峙させると悪い部分で争い合う。
そういう話(笑)
終わり
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