私の現在の苗字「石川」家のことにも触れておかねばならない。
父の母が石川姓であることは、先の日記で記載したが、中泉の坂之上町の
石川吉十の妹と記載されている。兄妹二人だけであったようだ。
兄の吉十には妻きくとの間に長男正二がいた。大変に出来が良い息子だった。
昭和12年(1937)に起きた(日支事変)にて陸軍歩兵として参加。しかし、
大事な跡取り息子が戦死。鉄兜をお墓の上に載せたお墓を立てたことからも
大切に思っていた長男を失った痛手が読み取れる。
吉十が昭和14年に逝去して、妻きく一人になり、石川の家の跡継ぎとして
小川家に嫁いだ妹たつの子で、四男を養子に迎える話がまとまり、私の父が
昭和15年に戸籍を移している。養母きくも昭和16年に逝去。父は金原家の
次女と結婚。大正10年の磐田市中泉の地図を磐田市歴史文書課にて入手。
しかし、探したけれども石川鍛冶屋は見当たらない。家に残されていたもので
鍛冶屋が使いそうな道具と言えば、やっとこと金づち程度しかないね。本当に
二人で鍛冶屋をしてたのならば、もう少し道具らしい物が有る筈。他には将棋盤
これは厚さ数センチの足も付いてるものだ。勲章状と写真のみ。
明治勲章の賞状があるが、戦死の日時や場所は記載なし。昭和12年に授与。
満州での冬の行軍の写真、兵隊が隊列を組んで歩み、傍らの鉄路の枕木の上を
軍用犬がとぼとぼと歩いています。この写真だけ1枚受け継がれています。
場所も日付も無いので、手掛かりにもなりません。菩提寺の戦死者の墓を確認。
日清戦争だと早すぎるので、もう少し後の戦争で戦死かもしれません。お彼岸の
墓参りに行ったら解るかもね。
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