父方の墓がある白毫寺の裏に、年魚市潟と書いてある碑があります。
この辺りは昔、年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれた遠浅の海岸線だったそうです。
『万葉集』にも「年魚市潟 潮干(しほひ)にけらし 知多の浦に 朝こぐ舟も沖に寄る見ゆ」と出てきます。
そしてその「年魚市(あゆち)」は「愛知(あいち)」の語源になったと言われているそうです。
また、熱田(あつた)の語源も年魚市潟(あゆちがた)が由来であるとする説もあるそうな。
去年末に墓参りに行った時に、久々に碑からの景色を見ました。
ここから見渡す範囲が海だったとは、信じられませんねぇ^_^
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