mixiユーザー(id:139150)

2020年10月06日15:57

45 view

江戸末期の遠州の遊侠伝(2)

いよいよ佳境に入ります。
「安政四年五月、森の五郎の養子太市は石川村の賭場の近くで、縄張り争いがもとで
 堀越の藤左エ門、幡鎌の周太郎、新居の源吉、他一人の子分のために殺害された。」

「太市殺しの一件は、単なる賭場のいざこざで、太市の死んだのは喧嘩際中に卒中で
 倒れたのだと言い触らした。それには幡鎌の周太郎の親爺が番人で、役人に袖の下を
 使ったりしたので、事件は簡単に落着し、藤左エ門が喧嘩兇状で入牢して、百叩きの上
 放免されただけで落着したが、森の五郎はそれ以降、うつうつとして楽しまずめっきり
 老衰した」
 
「太市」を殺した幡鎌の周太郎という男は、渡世人らしくもない細骨のやさ男で、腕が
 立つという方でもなかったが、甲州黒駒の勝蔵の子分の大岩・小岩の兄弟分というこ
 とで、幅を利かせておった。森の天満下に周太郎の兄弟分で、新屋の虎蔵(俗に新虎
 という)という男があった。周太郎がとかく大岩・小岩を笠に着て、新虎の火場所を
 荒らすので、両人の仲は段々気まずいものになっていった。その新虎が森の太市と
 親しい間柄だったので、太市が殺されると、太市の子分八五郎を連れて、清水港に
 次郎長を訪ねた。新虎は清水の次郎長とは面識がなかったが、新虎の兄弟分に森の
 川忠という伯楽がおって、これが気前の良い男だったから、次郎長とも交際し、その
 子分たちが年中ゴロゴロと川忠の所で遊んでいた。そんな縁故から新虎は川忠の紹介
 で次郎長に遭ったのである。」
フォト


「次郎長は安政二年の暮から旅に出て、丹波の福知山の銀兵衛の所に、長いこと逗留し
 清水に帰ったのは安政五年の正月であったから、森の太市が殺されたのは、その留守
 中の出来事だった。
 次郎長は弘化元年二十五歳の冬、三州からの帰途、森の五郎のところに草履を脱いで
 暫く厄介になった恩義も有るので、新虎はそれもこれも承知のうえで、次郎長が旅カ
 ら帰ったと聞いて出かけた。」


 「次郎長は新虎の頼みをいれて八五郎を子分とした。新虎とは兄弟分の盃を交わす。
  時に次郎長39歳}

 「安政五年、森町天宮 萬松寺住職殺害され、寺は放火により全焼、犯人は巳の助
  の子分で重五郎他一人という。(世に萬松寺事件という)」

 「重五郎は森の下宿の番人伝八と、三倉の番人喜二郎のため捕らわれ、森の牢屋に
  於いて十一月牢死した。」

 「巳之助は萬松寺事件の科で八丈島へ流されたが。江戸伝馬町の獄舎に差し戻され
  万延元年九月十一日鈴ヶ森の刑場で斬首された。享年52歳。墓は女房の三千が
  慶応三年12月23日に病没したので、明治になってから、両人の墓を建てた。
  山梨の用福寺にあり、戒名は古梅良香信士である。」

 「森の五郎は、萬松寺事件が片付くと、谷口に引き込んで隠居してしまった。精神
 的にも、肉体的にも苦労がかさなって憔悴し、安政五年二月八日病没した。戒名は
 即心自性信士である。」

 「安政六年秋、幡鎌の周太郎が旅人のために殺された。周太郎が殺されたのは、
  新屋の虎蔵が、周太郎と顔見知りのない次郎長の子分を使い、巧みに旅人に
  化けさせて、森の太市の敵討をしたのだと、森町界隈で評判になったが、犯人は
  さっぱり上がらなかった。新屋の虎蔵は、次郎長の弟分になって。森町付近の
  次郎長身内と親しく交際し、大和田の友蔵とも縁がつながり段々良い顔になった」

 「文久三年、三月三日。新虎は大岩・小岩らの一味五人のため殺された。」

 「同三年六月五日、次郎長一党は、三州平井の雲風亀吉方に隠れていた黒駒の勝蔵の 
  大岩・小岩ほか五人の一味を襲い、五人の首級をあげ、新虎の仇を打つ。」

 「新屋の虎蔵が死んだとき、次郎長は十五両の香典を包んで、これで何か商売をやり
  なさいと遺族を慰めた。今天宮に残る新屋旅館はその末だということだ。」
フォト

  写真は新屋旅館です。10/6

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年10月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る

過去の日記

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年