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2020年04月19日15:44

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礼拝の祝福と信仰による決断

「礼拝の祝福と信仰による決断」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21066 (写真入り記事)

素晴らしい日曜日を迎えることができたことを神様に感謝いたします。

昨日、今日の礼拝の週報を作りながら、「無観客・無会衆オンライン礼拝なのだから、週報は必要ないのでは!?」と頭の片隅で一瞬考えましたが、礼拝の奉仕をする必要最低限の奉仕者や、家族、そして、教会員のみなさんが「週報を送ってほしい」と言ってくれた場合、すぐに郵送ができるように準備をしました。

その時、心に言いようもない平安と喜びを感じました。2001年9月、911同時多発テロが起こった直後に、アメリカでの宣教旅行を終えて、戻ってすぐに開拓伝道をスタートしました。朝は大久保駅前のカラオケスナック、夕方は西新宿のストークマンションの2箇所で教会の礼拝を行いました。山のような荷物をバイクに括り付けて、週報を準備して、礼拝を行っていた頃を思い出します。

教会での礼拝が私にとって一番の喜びであり、力であり、安息でした。

ともすると、牧師にとっての日曜日は、仕事であると考えてしまう場合がありますが、牧師も、一教会員であり、一礼拝の会衆であり、神様に向かって礼拝をささげる礼拝者です。そこで、聖書を語る奉仕をさせていただいているのです。

新型コロナウィルスによって、世界中の大半の教会の礼拝がお休みになり、DVD、CD、カセットテープやオンラインなどで礼拝をしていると聞きます。どの牧師にとっても、教会の扉を閉ざすのは、苦渋の決断です。

その時、信仰者は、必ず信仰によって決断をしなければなりません。

「こういう風潮だから」「みんながそうしているし」「批判されたら嫌だし」などの人目を恐れて信仰によらない決断をしたとしたら、聖書は、「すべて信仰によらないことは罪である」と語りますので、動機が間違っています。

大切なのは、信仰によって、愛の動機によって決断することです。

礼拝参加者は、「教会はお休みです。来ないで下さい」と言われなければ、罪責感を感じる人もいます。それで、無理に参加する人もいます。また、まったく恐れを感じないで、いつものように礼拝に参加しようとする人もいます。

教会に来るためには、電車に乗ったり、人と接触する機会が増えてしまいます。教会に、ウィルス保持者がいて感染したり、あるいは、ウィルスを保持していて他の人に感染させてしまう可能性があります。

信仰によって、愛の動機によって、参加者のいのちを守るためにオンライン化する決断は、人々を守ることになり、神が良しとされ、喜ばれることであると確信します。

神様は、出エジプト記の過ぎ越しの時のように、イエス様の血潮が塗られたクリスチャンを守って下さるという世界があることを信じます。しかし同時に、今しばらく自粛をすることで守られるとしたら、信仰によって決断したことを尊重される神様であると信じます。

どうぞ、オンラインで礼拝をささげて下さい。そして、所属教会でオンライン礼拝がされていたら、その礼拝を大切にささげて下さい。

�〇身�歌を歌う時間に使う歌集がほしい人には郵送いたします。

�∪算措阿了�間には、パンとぶどうジュースを準備して参加して下さい。

�8ザ發了�間には、献金を準備して、まとめて献金をささけて下さるか、オンラインでささげて下さい。https://sgr-ch.net/kenkin.htm
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