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2020年04月09日06:24

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心配か、信頼か

「心配か、信頼か」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21016 (写真入り記事)

私には、心配の材料となるものがたくさんあります。

いろいろな人間関係を持つと気分転換になる面もありますが、その裏面として、様々な厄介な問題があります。時間も取られるし、疲れます。

人間関係以外には、経済や健康などの心配の材料があります。

なぜ、「心配」と言わないで「心配の材料」と言うかというと、心配の材料は、心配に変えることも、信頼に変えることもできるからです。

「心配」と「信頼」の違いは、「ぱ」と「ら」の違いですが、この言葉をつなげると「パラ」になります。

新約聖書の原文のギリシャ語で「パラ」という言葉は、「傍らに」という意味の言葉です。

聖書では、三位一体の神の聖霊に対して、「助け主」や「慰め主」と訳されて言葉に「パラ」が入っています。「パラ・クレートス」です。

「パラ」は「傍らに」で、「クレートス」は「呼ばれた者」という意味の言葉です。

「聖霊」とは、私たちの傍らに立ち、呼んで下さる、呼び寄せて下さるお方なのです。

また、「傍らに立つ」とは、元々は弁護士を意味する言葉です。

弁護士は、裁判にかけられ訴えられている時に、被告人の側に立って弁護をし、無罪を主張したり、刑が軽くなるように情状酌量を求めてくれます。

後になって、一般的に、助言をしたり、慰めてくれる人も含めて指す言葉になりました。

聖霊は、神であり、いつも私たちと共にいて、訴えられたり、困った状況の時には弁護をしてくれますし、困っている時には助けて下さいます。傷つき、落ち込んでいる時には、傍ら似呼び寄せて慰めて下さり、迷っている時には助言を与え、優しく導いて下さいます。

「心配」と「信頼」を分ける分水嶺は、聖霊なる神と共に歩むのか、否かです。

どんなに大きく、多くの心配の材料があっても、神と共に歩み、生き、考えるならば、この方に頼り、ゆだねるなら、信頼に変わります。赤ちゃんが母親の胸に抱かれて安心し切っているような状態です。

しかし、どんなに有能な人で、人生の経験が豊富な人でも、神を信じないならば、心配の材料の前には形無しになります。

神を信じない、神に祈らない、神に頼らないというのは、神ではなく、神の実力もない自分が神の役を担うことになります。

能天気で、楽観的な人でも、窮地に追い込まれ、身の危険を感じた時には、取り乱し、全くの無力の状態になります。

みなさん、これが本当の人間の姿です。

「人間は、神より少し低く造られた」と聖書は語ります。

「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(詩篇8:5)

人は、神と同じ性質を持っています。神に似ている存在なのです。しかし、神よりいくらか劣るものであるという意味は、神に頼らなければ生きていけない存在であるという意味です。

人間が、修行をし、心がけ次第で強くなり、神のように全能の存在となれるなら、宗教などに意味がありますが、神を信じ、神に頼ることを教えない宗教は、診療能力や治療能力のない藪医者みたいなものです。

人を騙してお金を巻き上げる悪徳病院のような宗教もない訳ではありません。

キリスト教は宗教ではありません。神と共に生きる生き方を教え、神と共に生きる道です。

キリスト教の本質は、キリスト道なのです。

その道をあなたも生きてみませんか?

心配の材料は、神への信頼に変わります。
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