田代まさし「僕が逝くべきだった」志村さんに感謝
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お笑い界の重鎮、国民的コメディアン。
奇しくも彼が武漢肺炎(新型コロナ肺炎)の
有名人犠牲者の第一号となった。
我々の幼少期のギャグは
コント55号、ドリフ、ひょうきん族で彩られていた。
中でもカトけん、加藤茶と志村けんの持ちギャグは
放送の翌日には教室の流行語だった。
それから二十年が経ち、私は広告業に従事し
かって彼とは東芝の仕事でご一緒したことがあった。
東芝の商品AE(アカウントエグゼクテブ)担当をしていた頃である。
エアコンの広告宣伝販促を担当させられ、
『 東芝ツインロータリーエアコン木陰 』のCMを何本か制作した。
一つは、江川と江夏 左右の大エース篇と
そしてもう一つは志村けんの歌い込み篇である。
一般のアンケート調査ではそこそこ好評だったが
東芝経営陣にはすこぶる評判が悪かった。
曰く、『 下 品 』であると、、、
撮影の日は彼はいつも6m超のリンカーンコンチネンタルの
リムジンを付け人に運転させやってきた。
駐車するのも一苦労。2台分のその駐車スペースを確保するのも
我々の仕事だった。
彼の所属する芸能事務所は、イザワオフィス。
往年の勢いは無くしたものの、渡辺プロの中核事務所であり
伊澤社長はナベプロの社長も兼務していた。
その伊澤社長自身がマネージャーも兼務していたので
かなり気を使わされた。
志村けんと云う人は、TVの中の印象と全く違い、
気難しく暗い人でいつも不機嫌な顔をしていた。
つか、いつも二日酔いだった、、、orz
CMプランや絵コンテにもうるさく、何度もやり直しをさせられた。
機嫌が悪いと、撮影の日セットの立て込みが出来上がってても
プイと撮らずに帰ってしまう。何度も痛い目に合わされた。
クライアントに死刑にさせられそうになったのも二度や三度ではない。
接待の酒の席でも、酒癖が悪く、暗い酒で、絡み上戸。
撮影時の不手際をあげつらい説教喰らうこともあった。
麻布十番のもつ焼き・焼き鳥屋から始まり
必然的に銀座のクラブ、六本木のキャバクラで
女性をあてがってないと絡まれるので
接待費の請求書を見ると目ン玉飛び出る額が
会社に届いた。
芸能人はTVで見てるのが一番である。
アテクシ的には一緒に酒を飲みたくない
三大タレントに入るひとである。
志村けん、奥田瑛二、織田裕二
まぁ、ともあれ一時であれメシを喰わせて
もらった恩義はある。
ご冥福をお祈りしたい。
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