散々に兵器も購入して自衛隊の軍備も整ったでしょー?。
まだ何か欲しいの?。
米兵たちもお家に無事に帰らせてあげて、みんな誰にでも帰りを待ってる家族が居るんだから。
米軍撤退後のお片付けが、汚屋敷掃除や汚部屋掃除の比じゃない位に大変だろうなぁ…。
戦争は、終戦した後からが本番です。
■米、タリバーンと軍撤退合意へ 国務長官が署名立ち会い
(朝日新聞デジタル - 02月29日 10:38)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5991278
この後、自衛隊軽音部による演奏でmoney(by浜田省吾)を、YouTubeで視聴する予定。
いや、あの、あの曲を自衛隊が?、マジで?、リアルすぎて痛いんだけど?。
食い詰め小作農の次男三男により構成された旧軍の遺産のアソートギフトみたいなハマショーの曲が自衛隊軽音部に演奏される時代が来るとは、流石にハマショーのアルバムを買って聴いてた当時には思ってもみなかったよなぁ…。
ハマショーのmoneyは、聴いていていつも祖父が終戦直後に建てた旋盤を扱うちっさいちっさい町工場の土間が思い浮かんで仕方がない曲でねぇ…。
私の父は昔、「オヤジ(祖父)の工場で旋盤工してて中学校には半年しか通えなかった」って半分怨嗟混じりに語ってた…。
いや、戦争って色々と、ダメダメなんじゃないの?。
しかも祖母の生前、私が最後に祖母のお見舞いに行った折りには父が、小さく萎びた祖母の枕元で
「オヤジはサイテーだった…」
とポツリと言った。
私の祖父は、私の父を含めて7人の子を為しながら町工場を作った挙げ句に早くに亡くなり、長い年月にわたり祖母を“子沢山なのに一人ぼっちの寡婦”にしたのだった。
そもそも私は、現在78才になる父が、早くに亡くなった会社経営者をしていた祖父を誉めたり称えたりした話なんて1度も耳にした事が無い、私が父から聞いている祖父についての話は、
「オヤジはサイテーだった…」
って一言が全てを象徴している。
一応これでも私は『会社経営者の孫』ってことにはなるんだが、『創業者の三男坊』が創業者を讃えている姿を見たことがない。
しかし父の実兄である私の伯父2人は、大卒だ。
それが私にとっての起業家家庭の現実だ。
そうして、祖父の建てた町工場は、父の実弟である私の叔父が継いだ。
叔父は経営の才があったようで、祖父の工場はまだ健在だ。
日本の戦後70年、昔は労働組合で闘士をしていてその活躍を買われて日本共産党中央委員会に勤務していた父は、まだ存在としての『経営者』を嫌っている。
町工場の家業の手伝いで中学校の授業に半年しか出席させてもらえなかったんだから、それも仕方のない話だろう。
なのに私ときたら、マコなり社長の昼飯に、共感をもって拍手していた。
私はマコなり社長の動画にあるあの貧乏飯が大好きだ、私の友人はマヨネーズとトマトケチャップをバッグに入れて持ち歩いていた。
夕べは実家からの帰り、父が私に土産に惣菜の唐揚げを持たせてくれた。
食パンにコンビニコロッケとキャベツを挟んで喰う昼飯が、私は大好きだ。
創業者である祖父の遺産は、私にはコロッケサンドと水団だ。
私は貧乏飯が大好きだ。
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