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2020年02月29日01:25

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越谷駅路傍伝道

『越谷駅 路傍伝道』
「イエス様のように、路傍伝道にも笑いを」
《Now watching 1426》

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20853 (写真入り記事)

越谷駅に14名の伝道の勇士が集まりました。半数以上が地元の人でした。理想的だと思います。

地元で路傍伝道をするということは、知っている人に会う確率が高くなります。使徒パウロは、「私は福音を恥とは思いません」(ローマ1:16)と語りましたが、「キリスト教徒だと知られたくない」と思っている人なら、路傍伝道はしたとしても、自分を知っている人がいる街ではやりたくないものです。

イエス様は、「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」(マタイ10:32)と語られました。路傍伝道は、イエス様を人々の前で認める訓練でもあります。

願わくは、イエス様を恥としないばかりか、イエス様を誇りとする人にさせてもらいたいものです。

イエス様を誇りとするようになったら、パウロのように、「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである」(第一コリント9:16)となり、路傍伝道は楽しくて仕方なくなります。

歌と説教とチラシ配りをしました。今日感じたのは、歌は笑わせるものではありませんが、説教には笑いが必要だと感じます。少なくても、一緒に伝道をしている仲間たちが笑うと、ガラッと雰囲気が変わって、通行する人たちが心を開きやすくなります。

聖書には、「イエス様が笑った」と一言も書かれていないので、ある神学者は、「イエス様でさえ笑ったことがないのだから、我らクリスチャンは笑うべきではない」と言ったそうですが、私は逆だと思います。イエス様ほど笑いに満ち溢れていた方はいないと思います。「御霊の実は、愛、喜び・・・」(ガラテヤ5:22)と書かれていますし、笑いのない喜びはありません。

むしろイエス様は、笑っているのが当たり前だったので、あえて聖書に書かれていないに違いありません。当時の人たちは、誰もが「そんなのわかっているよ」と言ったはずだからです。しかし、泣いたり、怒ったりというのは、珍しい姿なので、聖書に書かれているのだと解釈できます。

「こうしてはいけない!」「ああしなさい!」という説教は、人の心が閉ざされ、聞きたくありませんが、笑顔になり、笑うならば、心も開いて、耳を傾け、さらに、信じやすくなるのではないかと感じます。

2時間伝道をし、マクドナルドで軽食とお茶をしました。
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