■証言に涙流す人、最近減った 式典に臨む被爆者の胸中は
(朝日新聞デジタル - 08月06日 07:24)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5737142
今年も、この8月6日広島、8月9日長崎の 原爆祈念週間がやってきた。
◆ 『 焼き場に立つ少年 』
ある日の昼下がり その日その男は、写真を数点選ばねばならなかった。
世界中から、彼の元に写真は寄せられ、その年のメッセージカードに選ばれる。
写真をめくっていると、、ある写真で手が止まり、そのまま彼の眼は
その写真に釘付けになった・・・
10分ほど経っただろうか、、余りの捗らなさに彼の秘書官であるカメルレンゴと
大枢機卿に促されて、彼はハッと我に返った。
彼はすぐさまその写真を今年のカードに選出し、その背景を探るように
カメルレンゴに指示を出した。
彼の名は 『 法王フランチェスコ 』 全世界のカトリック教徒を統べる男
世界中で『ポープ・フランシスコ』『パパ・フランシスコ』と呼ばれている。
その写真は、日本の長崎からやって来た。
表題は、『 焼き場に立つ少年 』
撮影したのは、アメリカ人の海兵隊従軍カメラマンだった、
故ジョー・オダネル氏が1945年の原爆投下直後に長崎で撮影したものだった。
法王フランシスコは、この時天啓のようなものを感じたという。
『 ワタシ は コノ地ニ 赴カネバナラナイ・・・ 』
同じ法名を持つフランシスコ・ザビエルの昔から四百年続く『 受難の地 長崎 』
島原の乱、キリシタン弾圧 隠れキリシタン 奇跡の信徒発見、原爆被爆 etc
ローマ法王は、今年来日することを決めた。
【 ローマ教皇フランシスコの来日について】、
教皇庁は今年11月23〜26日の3泊4日の日程で最終調整していると伝えた。
それによると、教皇は23日午後に東京に到着。
24日は朝から被爆地の長崎と広島に向かい、
被爆後再建された長崎の浦上天主堂や、
4月にリニューアルオープンした広島平和記念資料館を訪問する。
25日は東京に戻り、天皇や安倍晋三首相と会談し、
東京ドームで大規模なミサを行う。そして26日に離日する予定だという。
撮影した、故ジョー・オダネルは、撮影当時の様子を彼の手記で
こう語っている・・・(以下引用)
” 佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、
当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、
ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま、焼き場を去っていきました。
※ 引用出典(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
◆ 【 被爆のマリア 】
そのマリアは昭和2年にイタリアのジェノバから、お船に乗ってやってきた。
当時竣工したばかりの東洋一の大聖堂『 浦上天主堂 』の祭壇に鎮座まします為に
虐げられた『旧隠れキリシタンの為の』大聖堂にお嫁入りしたのだ。
蒼い目をした白磁の肌をした美しき聖処女マリア様
当時の信徒たち喜びはそれはそれは大層なものだったげな。
それから、18年後。そのマリア様も『 受難 』 した。
彼女を百万度の核爆発の熱線 と 1,000シーベルトの放射線が襲った。
木でできたマリア様はひとたまりもなかったろう・・・
だが、一人の神父が瓦礫の下から、彼女を掘り起こした。
2000度の熱にも耐えるハズの青い目のガラス玉は溶け落ちていたが
何故か、木造の胸部と頭部だけは消し炭にならず、奇跡的に燃え残っていたのだ。
昔の美貌は失われ、『しゃれこうべ』 のような風貌に変貌していたが、、、orz
だが、その 『気高さ』 は、今も一分も失われてはいない。
まるで、あの日 唇を血が滲むほど噛み締め、
それでも凛として、直立不動の姿勢のまま
立ち尽くしていた少年の様に。
「 法王フランシスコ 」様
恐らく貴方は、あの日の 凛とした「焼き場の少年」には、
お会いになることは出来ないでしょう。たぶん。
もはや、あんな目をした少年は、日本中ドコを探してもいません。
せっかくイタリアから戴いた
ジェノバ生まれの、東洋一の美しさと讃えられたマリア様も
しゃれこうべの様なこのザマです。
それでも我々長崎県民は、
この「奇跡のマリア」と「奇跡のあの少年」に
会っていただきたいのです。
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