「プロテイン ラーメン ベストマ〜ッチ♪」
これだから脳筋はwww(挨拶その1)
「艦隊これくしょん」5周年おめでとうございます(挨拶その2)。
23年前のちょうど今頃。神奈川大学六角橋キャンパスのTRPGサークル「卓上遊戯研究会ルーデンス」(当時の名)の門を叩き、キャンパスライフを謳歌しつつも、TRPG漬けな学生生活、と、おそらく人生の中で最も至福な時期を過ごす。
サークル活動で実際にセッションする際、卓分けをする。黒板にシステム名を明記し、挙手にて希望をあげていく。
当時、『ソード・ワールドRPG』しか知らなかった自分は、そこに書かれた未知のシステムにわくわくしつつも、決め手がないので(当時は「今日はこんなシナリオをやります!」みたいなプレゼンはほとんどなかった)、卓分けの際に「どれでもいいです」と言ってしまう。
これが、時のルーデンス会長を怒らせるきっかけの言葉になる。
まず、どれでもいいというのは「選択するために『思考する』という行い」を放棄するものだ。情報量が少ないとしても、少しは琴線が触れるものがみつかるはず。それを何故「選ばない?」。
卓を成立させるためには、人数調整も必要になって来るだろうし、希望する人はそこに行って、自分は足りないところを、という考えも、新規生(うちらでは新しく入ってきた部員をそう呼んでいた)はそんなところを気にする必要はない、と。
………以来、人生において自分は「どれでもいいです」「何でもいいです」とは、極力、口にしなくなった。
(しかしながら、卓分け後のハンドアウト分けなど、残り物待ちすることはよくやるので、自分の主張が矛盾している「のかもしれない」。)
コンベンションで卓希望用紙に記入するタイプで、先日、初めて「どの卓でもよい」(実際の表記は異なる)なるものを見た。
なるほど、TRPGのセッションならジャンル、シナリオ傾向問わず、とにかくセッション出来ればいい、と考えてる人ならそれでいいかもしれない。どの卓にするか迷う、というのは分からないでもないが、それでも意中の1卓は決まると思うのだが、違うんだろうか???
「さて、映画館に着いたけど、どれ見る?」
「ん〜、どれでもいいよ。キミが見たいもので。」
「………。」
「(あ、『〇〇』は時間もうすぐだし、行列もなく空いてるな)じゃ、『〇〇』見ようか?」
映画とTRPGを一緒にするなと言われそうだけど、根本な問題は一緒だ。
そもそも、なんのためのパンフなのか?なんのためのGM紹介なのか?そのコンベンションにきたということは、意中の卓があったからではないのか?
自分はほぼ、週に一度はセッションしているけど、人によっては貴重なセッションの機会なはずだ。もう少し真剣に(入れるか入れないかということは別にして)考えてもいいんじゃないかね?
よっぽどセッション機会が豊富で、たまにはランダム性を卓決定まで拡大してしまおうと考える人もいるかもしれない。そういや「ロシアンルーレットコンベンション」というのもあったな。偶然選ばれた卓で遊んでみたところ、思ったより楽しかった、まぁ、それも悪くはないのだろうが、ちょっと自分の肌には合わない。
というのも、TRPGのセッションって、ものすごく時間がかかるからだ。コンベンションに出かけると、ほぼ、まる一日を費やすと言っても過言ではない。そんなのに偶然性を絡めるのは、40を過ぎて残り人生も少なくなってきた自分にはちょっと無理。
やはり、1日かけて遊ぶシステムは、よく吟味して、「これが遊びたいです!」と思えるようになりたい。自分で選ぶのと人様が選ぶのとでは、たとえ結果が同じでも何かこう、得られるものが違うような気がするから。
しかしながら、自分が「コンベンションはシステムで卓を選ぶ派」であるように、この考えもマイノリティーなんだろうな。
人にはそれぞれ考え方が違う。自分は「選ぶ派」と声を大にして言うのは自由だが、別に他人に押し付けるつもりはない。一応「何故、自分で選ばないんですか?」って質問する程度。別に他人に迷惑かけてる好意じゃないし(そればかりか、希望者過多になるのを防ぎ、運営側からはありがたい存在)それはそれで結構なことだ。
………卓希望用紙にフリーと書かれて入ってきたプレイヤーさんを、実際、GMさんはどうとらえるんでしょうかね?
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