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2017年09月26日21:01

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【御陵世界遺産】これが左派側の基本方針

 『世界遺産と天皇陵古墳を問う』(今尾文昭・高木博志編/平成29年1月/思文閣出版)なる本があります。

 いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」が今年夏に世界遺産国内候補に選定され、大きな話題になるだろうことを見越し、それにぶつける形で今年1月に出版されていた本です。運動としても商売としても上手いものです。

 以前にご紹介した『京都新聞』(http://open.mixi.jp/user/5141166/diary/1962314040)や『東京新聞』(http://open.mixi.jp/user/5141166/diary/1962631964)の記事でも、この本が紹介されていました。世界遺産登録実現を大義名分とした、今後の左派による陵墓侵害攻勢の基本方針は、この本に書いてあると考えてよいでしょう。

 編者の今尾文昭(考古学)と高木博志(近代日本史学)は、「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録を通じて、長年左派勢力が要求していた御陵侵害策を実行しようと、かねてより活動していた人物です。

 「長年左派勢力が要求していた御陵侵害策」とは何でしょうか?

 天皇陵をはじめとする皇室の御陵墓を、宮内庁が管理し立入りを禁じていることについて、戦後の左翼勢力とその影響を受けた考古学界は、反皇室的な思想上の欲求と、発掘して研究者として身を立てたいという生活・利権上の欲求とを懐からのぞかせながら、「陵墓公開運動」と称する闘争を続けてきました。

 要するに自分たち学者を立入らせて調査させろ、という話なのですが、その前提として、御陵墓を文化庁が文化財(史跡・特別史跡)に指定することを要求してきました。宮内庁が「聖域」たる陵墓として管理しているから立入りできないのだから、「公開・活用」が法的に求められる「文化財」に指定されれば、自分らの発掘調査にも道が開かれるだろう、というわけです。

 こうした左派勢力の要求は、大衆の「墓暴き」への野卑な好奇心にも合致することから、宮内庁書陵部は長らく孤立無援の防御戦を強いられてきました。それでも書陵部は、彼ら自身の既得権確保の動機もあり、徐々に防衛線を下げながらも攻勢をしのいで来たのです。

 そんな時、今から十数年前のことですが、高木博志という男の頭にひとつのアイデアが閃きます。高木は、英国で提唱された「創られた伝統論」という左翼史観を日本に当てはめて“近代天皇制国家”を批判するだけの簡単なお仕事で、新進気鋭扱いされていた研究者です。彼のアイデアとは、「“仁徳天皇陵を世界遺産に”というスローガンで、陵墓の文化財指定が出来るじゃないか!」というものです。

 なぜ“仁徳天皇陵を世界遺産に”というスローガンで、御陵墓の文化財指定が出来ると思ったのでしょうか?

 それは、ユネスコ世界文化遺産の日本での担当官庁が文化庁であり、世界文化遺産の国内候補を選定する要件として、当の物件を文化庁が文化財指定していなければならない、という慣例が当時あったからなのです。この要件を満たすため、例えば御陵墓と同じく皇室用財産である奈良の正倉院(の建物)は、世界遺産推薦前に初めて文化財(国宝)指定されています。

 このような世界文化遺産に関する国内ルールからすれば、仁徳天皇陵が世界遺産に登録されるならば、国内推薦決定までに文化財(史跡または特別史跡)指定が必ず行われるだろう!“仁徳天皇陵を世界遺産に”というスローガンは使える!…高木の閃きとはこういうものでした。

 ところが現実は、彼の夢想どおりにはいきませんでした。神聖なる皇室御陵墓の奉護を訴え、いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録に反対する有志が声をあげたのです。

 世界遺産登録を推進する地元自治体(大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市)は、御陵尊崇派が唱える文化財指定反対の声を受けると、「文化財指定なしでの推薦」を目指す方向へと転換します。彼ら推進自治体は、そもそも「世界遺産」というものに観光資源としての価値のみを求めており、どんな形であろうと世界遺産になりさえすればそれで良いからなのでしょう。

 思うようにならないこの事態に、高木らが頭から湯気を出しながら出版したのが、『世界遺産と天皇陵古墳を問う』という本なのです。

 もうひとりの編者、今尾文昭の主張は、おもに御陵墓の呼称に関するものです。「仁徳天皇陵」や「仁徳天皇陵古墳」ではなく、「大山古墳」と呼べ!という話ですね。

 かつて考古学者の森浩一(故人)が、調査や文化財指定を許さない宮内庁への腹いせを込めて提唱した、御陵墓の「○○古墳」呼称。わが国のマスメディアや教育界が左傾化していたこともあり、仁徳天皇陵の「○○古墳」呼ばわりは、じわじわと広がっていきます。新聞でも教科書でも、仁徳天皇陵は、「仁徳陵古墳」「大仙陵古墳」「大山古墳」などなど、一定しない様々な古墳呼称に書き換えられるようになりました。そして、いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録運動が始まったころ、推進自治体による仁徳天皇陵の呼称は、「仁徳陵古墳(大山古墳)」というものでした。

 しかしここでも、御陵墓の奉護を訴える有志の主張が、ある程度の作用をおよぼします。

 「皇室御陵墓を単なる古墳呼ばわりする不敬な世界遺産登録を許さない」という有志の声から逃れるため、推進自治体は「仁徳天皇陵古墳」とか「応神天皇陵古墳」といった、どっちつかずな呼称をひねり出したのです。もちろん、電飾知事やハコモノ市長が、突如御陵尊崇の念に目覚めたというわけではなく、彼ら観光利権屋は、「世界遺産」のお墨付きさえ得られれば名前なんかどうでもいいからです。7月末の国内推薦選考も、「○○天皇陵古墳」呼称での推薦が一応決定しています。

 こうした情勢に金切り声をあげたのが今尾文昭でした。彼は、森浩一が大親分として君臨した同志社の出身です。今尾は忠実な子分として、森の墓に良い報告ができるのでしょうか?もっとも、遺骨を掘り起こしてDNA鑑定でもしないかぎり、そこが本当に森浩一の墓かどうかは「学術的に未確定」なわけですが……冗談です。

 で、『世界遺産と天皇陵古墳を問う』です。

 その序文に、この本が何の目的で出版されたかが、余すところなく記されています。もうこの序文だけ読めば充分です。買う必要もなければ、本文を読む必要もありません。むしろ本文には、編者の趣旨にかなうのかどうか疑わしい珍論文がまぎれ込んでいたりします。また巻末には、ユネスコやイコモスへのロビー活動に使うことを意図しているらしい「英文要旨」なるものが載っていますが、要旨と称しながら実際には序文の英訳です。序文だけ読めば充分なことの証ですね。

 その序文を下記に引用します。いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録への今後の過程で、彼ら左派勢力が何を目指すのか。その方針が明らかになっています。

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序

 <strong>アジア・太平洋戦争をへた戦後考古学・歴史学は、津田左右吉以来の記紀神話の史料批判や文化財として天皇陵を考えることを学問的な営為としてきた。</strong>なかでも陵墓となる古墳(天皇陵古墳)に対して、考古学や歴史学の一〇学会(現在、一六学協会)による一九七六年五月に始まった陵墓公開運動は、<strong>皇室用財産として閉ざされた宮内庁陵墓から文化財として市民に開かれた巨大古墳を取り戻す運動であった。</strong>

 その一つの象徴が、戦後考古学の成果にもとづいた現在の陵墓比定への森浩一による疑義の表明であり、つづいて提出された現行の陵墓呼称から日本考古学における通常の遺跡命名法による古墳呼称への言い換えである。これは、記紀系譜にもとづく陵墓の存在を前提に、『延喜式』記載の陵墓名を採用して体系づけた近代国家による陵墓制をほぼ踏襲した戦後のありかたに対する根本的な批判となる。森による仁徳陵を大山古墳、応神陵を誉田山古墳と地名で呼ぶ提案は、考古学・歴史学の学問上の到達点にもとづく合理的なものであったため、たちまちに学界はもとより広く市民に支持され、教科書記述にも反映をみることになる。

 しかし二一世紀に入り持ちあがった、天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指す活動では、関連機関においてその構成資産名が、森提案による天皇陵古墳の呼称方法の妥当性およびその定着する実態を考慮せず、一方的に「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」などと決められた。これは当該する陵墓(天皇陵古墳)に対して文化財保護法による史跡指定を行ない保存施策を講じた上で、世界遺産登録を図るというものではなく、国有財産法の皇室用財産として宮内庁が管理する現行施策において恒久的な陵墓の保護等が満たされているという認識に立ったものである。

 ついては、陵墓の文化財的性格は文化財保護法上の「埋蔵文化財包蔵地」にとどまるという見解が導かれることになる。文化財保護法では、文化財の定義のうち古墳などの遺跡で「わが国の歴史上又は学術上価値の高いもの」を記念物とし、文部科学大臣は、なかでも重要なものを「史跡」、特に重要なものを「特別史跡」に指定することができる。構成資産となる百舌鳥・古市古墳群の天皇陵古墳は、この要件を満たしていないのだろうか。陵墓に文化財としての性格を認めるならば、その実質化ともいうべき史跡に指定され、顕彰の対象になるものと考える。さらに古墳群としてとらえるのであれば、周辺開発に対して許認可権が行使される史跡指定が必須だろう。「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」などといった呼称の背景には、このように指定行為をとらないといった問題点がある。

 さらに、「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録が五世紀の倭国王墓となることを根拠とする一方で、宮内庁による現行の陵墓比定と折衷させたかのような表記は、戦後、構築してきた日本考古学・歴史学の学知を否定するばかりか、市民や世界に対する誤った情報発信につながる危険性すらある。「天皇」号が五世紀には存在しないこと、現行の陵墓比定に多くの誤りがあることは、研究者の間では広く共有されていたはずである。わが国の国家形成史を歪曲した責任は、将来にわたって問われるものとなろう。また、これは明治期以来の宮内省(庁)管理の陵墓の「秘匿性」を温存することにもつながる。陵墓の体系とは、「万世一系」の記紀系譜を視覚化したものであり、「仁徳天皇陵古墳」「応神天皇陵古墳」という呼称は、記紀系譜にもとづき仁徳陵・応神陵と呼ぶことと本質的に変わらない。それは<strong>わが国によるアジア・太平洋地域への侵略と植民地化の反省の上で、アジア各地域の人々との 歴史観の共有化をめざすという立場を明確にした呼称として「アジア・太平洋戦争」と呼ぶのか、大東亜共栄圏の構築過程における欧米諸国からの祖国防衛のための聖戦と位置づけて「大東亜戦争」と呼ぶのかに、同質の課題として受け止めるべきではないだろうか。 </strong>

 本書は、考古学、歴史学研究者として世界遺産登録活動により表面化した天皇陵古墳呼称問題を看過せず、直視し、何が問題であり、どうすれば未来につながるかを問う一書として企画した。記紀系譜への批判を回避した天皇陵古墳の表記を問題視し、世界遺産登録の問題を相対化する視点から、これからの天皇陵古墳の在り方について考古学・歴史学・ジャーナリズムから考えてゆきたい。

 なお、挿図となる写真や図の掲載については多くの機関や関係者にご協力をいただいた。また英文要旨の作成については、ジェニファー・シャンムガラトナム氏、ジョン・ブリーン氏に、さらに刊行については、思文閣出版の田中峰人氏のお世話になった。ここに厚くお礼を申し上げたい。

二〇一六年一一月一五日  今尾文昭 高木博志

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 冒頭の「アジア・太平洋戦争」っての見ただけで、思想わかっちゃいましたね。

 そうした左翼思想にもとづき、

<strong>1.陵墓の呼称を「仁徳天皇陵古墳」等ではなく「大山古墳」等とさせる。</strong>

<strong>2.文化財保護法上の文化財(史跡または特別史跡)に指定させる。</strong>

 という2点を主に訴えています。そしてその先には、

<strong>3.(学術調査や「市民に開かれた巨大古墳を取り戻す」等、様々な名目での)公開。</strong>

 があることも明らかです。

 我々は、御陵墓の世界遺産登録自体に反対し続けるのはもちろんですが、特にこうした「御陵侵害3点セット」の断固阻止に留意しなければならないでしょう。敵の手の内がはっきり判っているのですから。

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