何かしらの一点のみで人生の全てを計っちゃう。
卒業したら気の合わない先生とも顔を会わせなくて済むって事さえ見えなくなっちゃう繊細な視野狭窄。
大人なら御神籤で凶を引いたからって死にゃしないけど、この年頃だと御神籤で凶を引いたってレベルのことで死を選んじゃう(担任の当たり外れなんて御神籤レベルだろう)。
そんな面倒臭い繊細な感受性を有した生き物に、私が積極的に関わりをもちに行くはずなんてそもそも無いと思わないか?。
戻りたい過去なんて持ち合わせのない程度に汚れた心根をした大人なので、こうしたニュースをみても(周囲の誰がどんなに励ましても宥めても、死ぬ奴は死んじゃうんだよ)と私は考える。
何の悪事を働かなくても自責の念に駆られて人生に絶望して死んでしまう人がいることは、ある意味では自然淘汰に近い。そんな理不尽を飲み込んで、救われなかった人の死でさえ死はある種の救いにも成りうるとの思い違いを自らに許す。
そんな程度には汚れた心根で生きている。
こんな事件や事故にいちいち共感なんてしていたら自分まで自殺しなきゃならなくなるから、こんな死にかたをした子供に共感なんて私はしないね。
■中3、複合ストレスで自殺=第三者委が報告書―愛知県一宮市
(時事通信社 - 08月24日 21:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4732560
汚れっちまった哀しみというのは他者への理解を拒み他者への共感を切り捨てることも含まれてあるのだが、だからこそ生きていられるのが人間的な強靭さでもあり心の強さでもある。
親友が死んだ時にも私は自殺を選ばなかったし、弟が死んだ時にも私は自殺を選ばなかった、祖母の死にも祖父の死にも自殺を選ばなかったし、事故の後遺症に気付いても自殺を選ばなかった。
だからって「自分さえ助かれば良い」なんて口に出して言える程に冷血漢を気取った日もない。
だけど働いてないから生きる価値が無いとも考えないし、世の中の大多数と同じ生き方をしていないから人間として劣っているとも感じない、誰が働いていないのも誰が少数者なのも誰が社会の落ちこぼれなのかも他人事に過ぎないのでそんな事柄には全く興味が無い。
普通って、そんな諸々をいちいち口に出して言ったり泣いたり騒いだりしない態度を言うんじゃ無いだろうか。
他人なんて気にするよりも、私には先に考えなきゃならない事がある。
今夜の夕食メニュー、ダーさんと同じ食事内容だと私の内臓がダメんなるから、ヨーグルトにINする1品何か別に考えなきゃ…。
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