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2016年10月17日14:25

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明治・大正時代の静岡茶業の発展に貢献

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昨日の午後、金谷の日切り地蔵に願掛けをしに行きました。
バイパスを川根方面に降りて、直に五和駅があります。
そこを右折してすぐに日切り地蔵がありました。マイクロバス
にて、沢山参拝者が訪れます。それに混じって線香を求めて
参拝をしてきました。効き目があればお礼参りをします。願い
の内容は秘密。
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日切り地蔵から戻り、県道に出てそこを突っ切りまして、大代
に向いました。静岡県の茶業発展の礎を築かれた、河村宗吉
氏の半生展を見るためです。
生憎到着した時間が2時少し前、お客様は既に皆さん帰られた
後でした。手土産に持参した森町の元祖「梅ごろも」を受付けの
お嬢さんに手渡して入場。入場料幾らか支払うべきのを忘れた。

当主の河村隆夫さんとは顔見知りなので、挨拶はそこそこに見
せて頂きました。写真撮影は禁止とありましたが、配布資料には
掲載されていない、静岡県のお茶の生産量データがグラフ化して
あったものだけ、1枚撮影させていただきました。御免なさいね。

河村家の歴史は、河村隆夫氏の著作「かぶとぼとけ」にあります
ように、平安末期から続く武家の家系といいますから、神奈川県
山北町に発祥して、室町時代に金谷町大代にやってきました。
代々庄屋を務める傍ら、江戸幕府の頃には、幕府が保有する森
林を管理する「御林守」の役職を受けて、苗字帯刀を許されてい
ました。

当主の隆夫氏の曽祖父にあたる河村宗平氏が茶業発展に貢献
された方です。安政5年に生まれ宗平が30歳の頃(明治21年)に
牧之原を視察した農務省農務局一等書記官「多田元吉」の講演
を聞いたことが、当時の先端産業として脚光をあびていた茶業へ
の夢に燃える宗平を奮い立たせた。その講演会の記録が「茶業
改良法」である。

江戸時代が終わり幕府が大政奉還を行い、碌から離れた元武士
たちは大挙して牧之原開墾に入植しました。まだ、製茶の手法は
手もみ茶が主流で、とても大量には生産できず、絹製品のように
工業的に生産がされてはいませんでした。
宗平34歳の折に、明治25年に「製茶師競」を表すときに、34歳
の宗平を世話人に抜擢した。この頃から、宗平の活躍がはじまった。、

 明治29年愛媛県茶業組合から、39歳の宗平に対して、静岡県の
製茶技術の伝承をすべく、「愛媛県喜多郡緑茶製造試験場製茶法
の教授を嘱託す」と委嘱されている。

 明治40年宗平49歳の時には、京都大阪市が、奈良三重二府三
県製茶研究所緑茶部からの委嘱状に「教師を嘱託す」とある。
当時の静岡茶の製造技術が勝っていたことを示している。

それまでの手もみ方式の製茶製造を、興業規模にと買えたのが
火炉による茶葉の乾燥技術だ。炭火を熱源として炉を製作して
茶葉の乾燥をさせる方法により、製茶工場の生産量が大きく上り
なおかつ品質も安定して見込めるようになりました。この火炉の
開発にも携わりました。

当時の静岡県知事松井茂から、静岡県製茶監督員と認められて
委嘱状を受けたことが残されています。

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