http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16603 (写真入り記事)
物の価値は、需要と供給が合致によって決まるものです。
今までに一度、新品の価格の約二倍のお金を出して中古で本を買ったことがあります。
本を買ってからすでに3〜4年前経ちますが、今日現在でも、定価の約二倍の値段でAmazonなどのネット上で流通しています。
毎日、仕事の合間の時間を見つけて、少しずつそうじをしています。
私のそうじは、
� 嵒�要品」と「不用品」を分けて、「不用品」を捨てる。
�◆嵒�要な物」が「必要な時」に出て来るように物を適切に配置することです。
不用品を処分し、必要な物を整列されるプロセスで、潔く物を捨てることに目が行きやすいですが、それ以上に、宝探しをしているようです。
3〜4年前に定価の二倍のお金で買った本をはじめ、買ったまま、その存在を忘れて眠っている宝のような品々を発掘して、とても豊かな気持ちになっています。
そうじをしながら、私自身の価値に目を向けました。
聖書は、「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」(マルコの福音書8:36〜37)と書かれています。
人のいのちの価値は、全世界以上であるというのです。
さらに、「わたし(神)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)と書かれています。
私は信仰によってこの事実を受け入れ、信じましたが、社会や人間関係の中でそこまで自分に価値があると感じるようなできごとはまだ経験していません。
しかし、
�� 親の愛。
�� 配偶者の愛。
�� 恩師・恩人からの恩。
�� 親友の厚意。
これらを紙に書き出してみると、私はどれだけ多くの愛・恩・厚意を受けて生きてきたのかを知り、「ありがたいなー」と、感謝で一杯になりました。
ですけれど、人が私をどう扱ってくれているかで、自分の価値を量るとしたら、それはあやふやな価値基準です。
その人の容貌、学歴や地位、何ができるか?などで、価値の優劣は変わって来るからです。
物の価値は、「等価交換」で決まります。
私が買った定価の二倍の本は、「二倍の値段を出してもいいからほしい」という需要があるから成り立つのです。
つまり、その値段を出しても買う人が居るから、価値が上がるのです。
私のいのちの価値も、「等価交換」が基準です。
聖書は、
�� 私は神によって創造された。
�� 罪によって神から切り離されて死んだ。
�� しかし、私のいのちは、キリストのいのちが支払われて買い戻された。
私のいのちのために、神は、キリストのいのちを支払って下さったというのです。
「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは 銀や金のような朽ちる物にはよらず、 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(第一ペテロ1:18〜19)
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(第一コリント6:19〜20)
つまり、神にとっては、私のいのちの価値と、イエス・キリストのいのちの価値は同じなのです。
どうぞ、この事実を信じて、受け入れて下さい。
あなたの価値は、キリストのいのち同等以上なのです。
当然、地球よりあなたのいのちの価値は大きいのです。
もちろん、傲慢になって、「俺は、私は偉いのだ。重要人物として扱え!」というのは筋違いです。
むしろ、神がそう見て下さっていることに感謝し、謙遜になるべきです。
「神様、私のように罪深く、取るに足らない者を愛して下さり感謝致します」と。
さらに、自分の価値を知ったのですから、人から特別扱いされることを求めたり、自分のすごさを証明することを求めて生きる必要はないのです。
神からの寵愛を受けたことを感謝し、神に仕え、人に仕えて生きたいものです。
次に、最近、私が掃除をする中で、数々のお宝を発見し、喜んでいます。
神を信じて生きるということは、宝探しの人生です。
宝は、あらゆるところに隠されています。
掃除するまでは、引き出しの奥深くや、物陰、積み上げられた荷物の下などに、こんな素晴らしい物があるなんて意識しないで生きていました。
掃除をしなかったとしたら、見す見すそれらの宝に気づかないで生きてしまったかも知れません。
私が人生の中で発見した宝は、
�� 人の評価という物陰に、人も自分も気づかない才能や能力が隠されていた。
�� 失敗だと考え、後悔しているようなできごとの中に、すごい祝福が隠されていた。
その他、あらゆるところに宝が隠されています。その宝を探し、見出していくことに人生の醍醐味があるのではないでしょうか。
宝を発見した時の状況は、思い出してみると、試練に遭い、どん底の状態で苦しんで神に祈り、神に頼るしかないような時でした。
人生の宝は、そういう時にこそ見つけられるのです。
悲しんでいる時、苦しんでいる時、つらい時、弱さを感じる時など、特に、宝に近づいている時だと知って下さい。
神は、あなたを愛しています。あなたには価値があります。人生の苦しい時にこそ、そこに宝が隠されています。
今日は、これから祈祷会に出かけます。
祈りの中で、神と交わります。みなさんのためにお祈りします。
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