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2015年11月19日17:09

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【226】 2015/11/19(木) 『罪を悔い改めよ』という言葉は聖書にあるか!?」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16172 (写真入り記事)

今日は、いよいよ明日から3日間行われる大会前日の歓迎昼餐会がホテル・ニューオータニで行われました。

会は、普通に滞りなく進行され、終わり頃になった時、「菅野先生、もう一食食べませんか?」と声をかけられました。

ゆるやかな減量を目指している私にとって迷うところでしたが、二食食べられる機会はなかなかありません。

閉会後、指定された横の部屋にいくと、声をかけられた方々がゾクゾクと入ってこられました。

しばらくすると、実行委員長の石田先生がきて、「みなさん、悔い改め(食い改め)をされているんですね」と第一声。

結局、二食分の昼食を頂いて帰って来ました。

2010年に、当時野党だった自民党の稲田議員が、尖閣問題、教育問題、銀色の艦隊などの問題について、衆議院本会議で、菅総理に対してするどく迫る代表質問をしました。

稲田氏は、質問の中で「罪を改めて、政策を変えよ!」と菅氏に迫りました。

教会に行くと、「罪を悔い改めなさい!」と語られることがあります。そう命じられたら、「はい!」としか言いようがありませんが、実は、聖書には「罪を悔い改めよ!」という言葉は書かれていません。

しかし、そう書かれていると思われる箇所がない訳ではありません。

『バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。』(マルコ1:4)

『ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」』(マルコ1:14〜15)

『そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使途の働き2:38)

中には、意図的な意訳や誤訳で、「罪を悔い改めよ!」と書かれている聖書はあるかも知れませんが、原文には「罪を悔い改めよ!」という言葉はありません。

ここでいう「悔い改めよ!」には、「反省しなさい!」「生き方を変えて正しい人間になりなさい!」などの意味が込められています。

しかし、「悔い改め」という言葉は、ギリシャ語の「μετάνοια(メタノイヤー)」のの訳文で、本来の意味を伝えるとしたら、「(神に)心を向きなおれ!」です。

英語では、「Change Of Mind」です。

次に、聖書が教える罪とは、神から離れた状態であり、その結果、死という病気におかされている状態を指します。

病人に対して、「反省しなさい!」という医者がいるでしょうか。

病人に必要なことは、治療を受けることです。

『そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」』(ルカ5:31〜32)

イエス様は、多くの病人をいやす働きをしました。


『人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家にはいられた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。』(マルコの福音書 1:27〜31)

ここで使われている「熱がひき」という言葉は、ギリシャ語で「アピエイミ」という言葉は、「いやされる」とともに、「赦される」という意味のある言葉です。

罪も病気も、神から離れた結果の死が原因です。同じ言葉を使って、「罪のいやし」と「病のいやし」について聖書は語ります。

つまり、罪はいやされる必要があるのです。その治療方法は、神に心を向きなおり、神に立ち返ることです。

神から離れたことで、死という病原菌が発生しました。しかし、神とつながるならば、罪と、その結果もたらされた死はいやされます。

いくら強く反省をし、後悔し、悔いたとしても、罪はいやされません。むしろ、「罪を悔い改めよ!」と命じられることで、罪のスイッチがONになります。

「何々しなさい!」と命じられると、したくないし、「何々してはいけない!」と言われると、「したい!」と思うのが人間ではないのでしょうか?

教会で、そのような戒めの律法が語られても人が変わらないどころか、ますます悪い状態になります。

なぜならば、罪の解決は、罪がいやされることが唯一の方法なのに、「罪人よ、反省しろ!自分で治せ!」と言っても、それはナンセンスであり、不可能なことです。

今日は、ひと仕事をしてから祈祷会に参加し、バスを取りに行って、成田空港近くで前泊をして、早朝にオーストラリアのヒルソングチームの第二グループを迎えに行きます。

明日から、大会がはじまります。

私がピックアップしにいくゲストをはじめ、多くのゲストが出演します。

今日の昼餐会には、歌手のレーナマリアさんも来られていました。

大会では、豪華ゲストが次々に出演し、最後に、説教者のフランクリン・グラハム氏が福音を語ります。

「お前は罪人だ!」「悪い奴だ!」「反省しろ!」「改心して、正しい人間になれ!」というのではありません。

�� 「あなたは神に造られ、神に愛されている」
�� 「しかし、先祖アダムとエバが罪を犯したので神との関係が切られ、死が入った」
�� 「イエス・キリストは、罪と死の問題を解決するために2015年前にこの地に来られ、十字架で死に、よみがえった」
�� 最後に、「信じるなら救われる。今、神のもとに来なさい!」と、アリーナに招きをします。

4回の集会に、延べ人数ですが、5万人近い人が集まります。

罪がいやされてほしい。救われてほしい。心臓はドキドキし、私の心ははち切れそうです。

2つのお祈りの課題があります。

1、 大会に、多くのノンクリスチャンの人が集められ、福音を聞くことができ、イエス様と出会えますように。
2、 引き続き、私のバスの送迎の奉仕が守られますように。

今日も一日ありがとうございます。一日お疲れ様でした。

また明日お会いしましょう。おやすみなさい。

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