mixiユーザー(id:648158)

2015年08月05日03:13

325 view

【経済】時代生き抜いたフェアレディZ

時代を生き抜いたニッポンのスポーツカー「フェアレディZ」
2015年08月04日 19:10 THE PAGE



久しぶりにスポーツカーの話をしたいと思う。そう思ったきっかけは日産から7月21日に出た『「フェアレディZ」を一部仕様向上』というタイトルのリリースだ。

 内容はそう大したことはない。一部グレードにオプションで設定されているBOSEサウンドシステムに、アクティブ・サウンド・コントロールとアクティブ・ノイズ・コントロールが追加されたという細かな仕様変更だ。オーディオシステムを使ってエンジンサウンドを演出したり、不快な音を低減したりするのだという。最安値で383万円。最高値だと573万円のスポーツカーにはあっていい装備だろう。

日産はZをどうするつもりなのか?

 筆者の目に留まったのはそのリリースの一文だ。『フェアレディZは、世界トップレベルの走行性能や、走りのために鍛え上げられたしなやかでダイナミックなデザインなどにより、あらゆるシーンで走る愉しさを満喫できる真のスポーツカーとして、お客さまから高い評価を得ています。また、フェアレディZ NISMOのラインアップ追加などにより、新しい魅力を提案し続けています』。

 ここ数年、国内マーケットに注力してこなかった日産が、フェアレディZをどうしていくつもりなのかずっと気になっていた。例え仕様変更が些細であったとしてもフェアレディZの新しい魅力を提案し続けていくという言葉をそこに見つけて嬉しい気持ちになった。

 日本を代表するスポーツカーとして、日産フェアレディZとマツダ・ロードスターは双璧だと言っていいだろう。ブランドイメージを代表する一台としてずっとカタログに載り続けていることはとても重要なことだ。

 もちろんこの2台は性格が違う。それはちょうど、かつての英国のスポーツカーにおけるトライアンフとMGの立ち位置に似ている。トライアンフは豪快さを求めるバンカラなスポーツカーとして長らく人気があった。フェアレディZはこの系譜を継ぐスポーツカーだと思う。

 一方で、MGは非力なエンジンを使い切り、ひらりひらりと身をかわす零戦のようなスポーツカーだ。マツダ・ロードスターはこちらの系譜に属するように思う。

 どちらも異なる魅力を持つ古典的なスポーツカーで、ホンダが新型NSXで狙う電子デバイスの可能性を追求した未来的なスポーツカーとは方向が違う。新技術を否定するばかりでは進歩はないが、長く愛されてきたものには長く愛されてきたなりの魅力がある。定番商品とはそういうものだ。

スポーツカー受難の時代に

 かつてスポーツカーは若者の憧れだった。こう書いた時点で、もう昔語り感が拭えない。しかしこと新車に関する限り、スポーツカーが若者のものであったことはほとんどない。何故かを聞くまでもない。値段が高くて若者には買えなかったからだ。

 若者は中古車でスポーツカーを買い、クルマへの愛と情熱を持て余し、何かしなくてはいられない衝動に突き動かされてモディファイを始める。常にクルマと関わっていたい気持ちが止められなかったのだ。そして大体の場合において、いじり壊す。それはそうだ。自動車メーカーのプロフェッショナル達が、考えに考え抜いてバランスをとりながら作り出した性能を、素人が簡単に向上できたら世話はない。

 筆者は若い頃、ホンダディーラーで整備士をやっていたが、当時はアフターマーケットのモディファイパーツを持ち込むお客さんが多かったから、その取り付けをよくやった。特に二輪部門にいた時はもう、いじらないお客の方が珍しいくらいだった。

 筆者はそういう部品の出来の酷さを目の当たりにして、改造部品が大嫌いになっていった。ただ、どんなに理には叶わなくても、あの何か部品を変えずにいられない衝動は、スポーツカーを買うこと、乗ることに密接につながっていたことを強く感じる。今の若い人たちはバカだと笑うだろうが、そういうバカが多かったからスポーツカーは売れたのだと思う。

 バブルが始まり、若い人たちにまでお金が回り始めて、少しずつ世の中が変わって行った。証券会社では新卒の初ボーナスが100万円を越えたりした。社会人になって2か月でボーナス100万円はさすがに一部の話だが、多くの人が収入に関して楽天的になったのは事実だった。ユーノス・ロードスターはそんなタイミングでデビューしたから、日本で始めて若者が新車を買うスポーツカーになった。

 バブルが終焉してからこちら、スポーツカーは長らく冬の時代になった。その間、各社のスポーツカーやスポーツモデルは次々と生産中止が発表されていった。途切れずに生産されてきたスポーツカーは、フェアレディZとロードスターだけである。フェアレディZには実は2年ほどのブランクがあるが、1952年にダットサン・フェアレディが登場して以来の伝統に比べれば、無視しうるブランクだと思う。

日産とプリンスの根深かった対立

 フェアレディZは大変な時代を生き抜いて来た。その背景には、日産とプリンスの社内抗争がずっと通奏低音として響いていたのである。

 日本の自動車メーカーの多くは、戦争に負けて飛行機を作れなくなったエンジニア達に支えられて技術的発展を遂げた。彼らの多くは旧帝大出のエリートである。世界的に見てもこうした航空機産業から転身したエンジニアは自動車の進歩に大きな貢献をしてきた。日本もその例に漏れなかったのだ。

 プリンスは立川飛行機や中島飛行機出身の航空エンジニアが中核になって発足した会社だ。スバルや三菱は航空機会社の末裔だし、トヨタやホンダでも元航空エンジニアは大きな足跡を残している。

 意外なことに、彼ら航空エンジニアにとって自動車のエンジンを作ることは難しかったらしい。航空の世界ではエンジンは途方もない進歩を遂げており、終戦後の自動車用エンジンとは技術的にとんでもない隔たりがあった。彼らが持てる技術の全てを注入したら、性能もすごいかもしれないが、価格もものすいごいことになる。それをどこまで手加減するか、それは戦争に勝つ為にひたすら高性能を目指せばいい航空機エンジンとは違う、民生用機械の難しさだった。

 国内の他メーカーと比べると、プリンスは常に野心的で先進的なメカニズムを採用していた。自動車メーカーの実験室と呼ばれたあたりからもそのイメージは伝わるだろう。ところが、1966年に日産に吸収合併される。背景には通産省による自動車メーカー再編計画があったとされる。今では想像しにくいことだが、当時の日本の自動車産業はまだ欧米各国にくらべて著しい遅れをとっており、通産省は、貿易自由化で輸入車が入ってくると、日本のメーカーが潰れることを本気で心配していたのである。そのために四輪、二輪のメーカーをいくつかに統合再編して、輸入車と戦える体力をつけさせようと考えていた。

 この特定産業振興臨時措置法案、通称「特振法案」は結局のところ廃案となったのだが、通産省は早くから自動車メーカー各社を訪ねて下交渉を開始しており、ホンダは国からのこの押し付けに激怒してむしろ四輪車への進出を早めた。

 しかし、プリンスは株主の意向など諸般の事情もあって、この計画に沿って動いてしまったようなのである。そうして国策で無理やり合併した二つの企業の軋轢(あつれき)の歴史が始まる。「技術的にはこちらが上」というプライドを持つプリンス出身の技術者たちは、吸収合併であっても日産に容易に同化しようとしない。日産は日産で「吸収したのはこちら」という意識がある。

 こうして新生日産は派閥に分断され、派閥抗争の一つの現れとして、派閥ごとに多くのシャシーやエンジンを開発していく。後に、無駄が多すぎるとしてカルロス・ゴーンが整理した無数のエンジニアリング・リソースは、こうした怨念の集合体だったのだ。加えて、組合運動も他者と比較にならないほど激しかった。歴代の日本人経営者が手を出せなかった理由はそういう政治的背景にあった。

 日産のハイパフォーマンスカーの中で、フェアレディZは日産系、スカイラインはプリンス系にそれぞれ属していたから、開発の裏側では常に激しい火花が散っていたという。例えば、スカイラインGT-Rに搭載したS20型エンジンをフェアレディZにも供給することが決まった時は、プリンス組は「ウチで開発したエンジンはあいつらには使わせない」と大荒れだったという。

 しかもこの日産系とプリンス系の遺恨は一過性のものではなく、長く続いたのである。そのスカイラインとフェアレディZがシャシーを共用するようになったのは、なんと2002年のことである。開発スタート時期を考えると、30年以上の歳月が必要だったのだ。合併から30年。それはプリンス入社組が定年を迎える時期に相当する。日産系とプリンス系の相克はついに和解することがなかったとも言える。

スポーツカーがもたらす人生の喜び

 そんな長い戦いの果てに、Z33型とZ34型はスカイラインと共通するシャシーを持つスポーツカーになった。前述のリリースに添えられた『フェアレディZ プレスインフォメーション』(http://www.nissan-newsroom.com/COMMON/PRODUCTS/SPORTS/Z34/PDF/z34_press_info.pdf)には、日産がこのスポーツカーに賭ける意気込みがあふれている。筆者が原稿を書くために昨今のクルマの資料を当たると、エンジンの気筒数や排気量ですら隅に追いやられ、クルマが機械の集合体であることを打ち消そうとしているような嫌な雰囲気を感じる。それと比べるまでもなく、このインフォメーションにはクルマや機械を愛する人たちの情熱がこもっているように感じるのだ。

 一文だけ抜き出そう。『ライバルと切磋琢磨し、スポーツカーの持つ楽しさ、スポーツカーがもたらす人生の歓びを一人でも多くの人に提供していきたいと思っています』

 願わくは、次世代も、次々世代もフェアレディZはニッポンを代表するスポーツカーであり続けて欲しいと筆者は思う。

(池田直渡・モータージャーナル)
---------------------------------------------------------------------------
かつて東京都武蔵村山市に日産の村山工場があって、
遠い小学生のころに数回見学に行った。
フェアレディZのクリアファイルをもらった記憶がある。
今は車に乗る若い人が減ってるし自分は車に乗らないけど、
この先も生き続けてほしいと思う。


【フェアレディZ】

フォト
「新しい魅力を提案するため」に仕様向上したフェアレディZ(Z34)
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年08月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031