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2015年07月13日17:39

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『Lepa sela Lepo gore=美しい村は、美しく燃える』[スルジャン・ドラゴエビッチ監督:1996年]

申し訳ないが、今日の日記は「読んで愉快になる」無いようではない(いつも、そーかもしれないが・・・)。

タイトルは、セルビア人監督のボスニア紛争を扱った映画の原題である[邦題:『ボスニア』] 。

この映画の意図は、「セルビア人=悪者」との西側メディアに対して「一石を投じる」などというレベルを、とっくに超えている。
 戦争映画全般を笑いのめした『トロピック・サンダー 史上最低の作戦!』と、同じく、監督の「矛先」は、戦争と暴力を一種の「ポルノ」として消費する人々へと向けられている。
 
現に、監督自身が次のように語っていることからも、裏付けられる。

「この映画で私が目指すのは、戦火から遠く離れた安全な国々の心地よい椅子でぬくぬくと映画を愉しんでいる君たちに、惨めな思いをさせることなのだよ。」

 実際に、この「戦争映画」で暴力に期待し、暴力を消費しようとする人々は、この映画にうちのめされるだろう。
 そして、「悪のセルビア人」「かわいそうなボスニア人」の姿を映画に求める人々も同様だ。
なぜならば、この紛争は、セルビア人、クロアチア人、そして、ボスニア人が三つ巴となって、蛮行と愚行を繰り広げた戦争だからだ。
第二次大戦以降、「敵と味方」「良い者と悪い者」「白と黒」に分けたがった当時の西側のメディアと知識人にとっては、この事実は受け容れがたかったのだろう。






 あらすじの紹介に入ろう。

 舞台は90年代初頭、ボスニアにある「スイスと見まごうばかり」の美しい山村から始まる。
セルビア人のミランと、ボスニア/ムスリム人のハリルは、仕事の労苦と、一日の終わりの強い蒸留酒と馬鹿話を分かち合う仲だ。
互いの事は幼い頃から知っているし、「民族の違い」でのケンカなんて考えもつかなかった。

しかし、1991年夏のクロアチア紛争、続いて、1992年春に、自分の国で戦争が始まったことにより、のどかな日常は終わりを告げる。
ミランとハリルは、戦争勃発とともに、それぞれの民族の民兵組織へと入隊していった。
そのころのTVから、「〜人」「〜民族」「〜教徒」という記号が視聴者へと植え付けられ、そのうえで、「クロアチア人のテロリスト(≒民兵)が、セルビアの息子たちを惨殺しました」 というニュースを流し、憎悪を煽っていた。
この頃から各人の「個別性」は、戦争が始まる前からゆっくりと「殺されて」いく・・・。

そして、登場人物の一人は、このような放送を信じて民兵組織へと入隊していく。
逆に言えば、そのような人は、平和な世の中においては「なんでも信じ込みやすい善良な人」として一生を終えられるはずであり、民兵組織に加入した兵士の大半は「気の好い人々」であったのだ。
 しかし、そのような彼らも、コンクリート・ミキサーをぶちまけたような「あらゆる犯罪が解禁された」残酷な非日常、そして、絶えまなく憎悪と迫害が煽られる中で「夜盗の一人」と化していった。
 民兵組織へと入隊した、粗野なところはあるものの気の良いミランも、放火と殺人、略奪に否応なしに加わるようになる。

ある時、ミランの部隊は、とある家に押し入り、家の主を射殺した後に、女性から電話がかかってくる。
「ジャミル(=殺された、家の主)は無事なの!電話に出して!!」
電話の主は泣き叫んでいる。
ミランの仲間の1人が、電話に出る。
「ジャミルって誰だ?今、代わるからな」
「もしもし奥さん、ジャミルは今仕事中なんでね。ここには居ない。」
「ウソでしょ!ジャミルを出してよ!!」

外を見ると、自分たちが殺したジャミルの死体が転がっている。
流石に、自分たちが「したこと」の取り返しのつかなさが徐々に判ってくる…。

「ガクシャさん、代わってくれ」
地獄のリレートークを代わった学者出身の兵士は、もはや押し黙るしかなかった。
…罪悪感を満面にたたえて。

この寓話から判ることは、民兵たちが「自分たちのしたこと=悪事/犯罪」であることを判っていたこと、そして、暴力と憎悪、迫害の「取り返しのつかなさ」である。
ある意味、日本のケースの方が深刻なのかもしれない。なぜなら日本の場合は「善行」もしくは「仕事のひとつ」と捉えつつ、蛮行に及んでいるからだ。

ミランも、最初のうちは、そのような蛮行に「心の中まで、どっぷりと」浸りきっているのではなく、「どこかに正気の部分を持ち込んで」行軍に加わっていた。
だが、この紛争に付き物の「暴力の応酬」が、彼を憎悪と狂気へと引きずり込む。

・・・というのも、彼の老母がボスニア人民兵によって惨殺されたためだ。
 
そして、破壊された自宅の壁には、次のように書かれていた。


「BOSNIA DO TOKIA = ボスニアを東京まで拡大せよ!」


 人命が軽視され、人間性が嘲笑され、年間自殺者が3〜10万人にのぼる(紛争地帯でも、これだけの大量死は、あまり無い)、今の日本社会から見れば、この落書きは深刻な意味を持つ。
 我々は、暴力と他人の不幸を「ポルノ」として消費するうちに、暴力と憎悪と迫害の持つ恐ろしい性質と、それが齎す、取り返しのつかない帰結について、忘れてしまったのだ…。


 そして、母親を惨殺されたミランも、憎悪の坩堝(るつぼ)へと放り込まれることとなる。


おそらくその頃の神も、「迫害を受け、そして、排除された」のだろう…。


 そんな ミランたちの部隊は、ボスニア人民兵の待ち伏せにあい、出口の無いトンネルへと追いつめられる。ロクに食料も水も持たない状態で逃げ込んできたため、たちまちのうちに極限状態となる。

 彼らを追い詰めた敵側は、どこまでも残忍だった。
 捕らえた捕虜を「今日は、お待ちかねの残酷ショー特集だよォ!」と、惨殺の様子を「実況」し、かつての女性の先生(敵味方に分かれる前の兵士/子どもたちを教えていた)を射殺するように仕向けた。
 そして、このような心理戦に耐えられなくなった兵士たちも出てくる…。
 その後、戦争によって「鬼のような」人相へと変わり果てたミランとハリルは再会をはたすのだが…。

  なお、このトンネルでの戦闘は、ボスニア紛争での実話を下敷きにしているという。


 ちなみに、15年前に見た時の感想についてだが、監督の言うような「惨めな思い」は、あまりしなかった。
なぜならば、件の挑発的な台詞を吐いた監督のような「人間嫌い」こそが、最も人間性を希求しているように思えてならなかったからだ。
どこまでも「ツンデレ」な監督だが、彼の渾身の訴えは、未だに世の中へと汲み上げられてはいない。

  映画の最後、紛争の犠牲者たちの死体が積み上げられるが、死んだミランとハリルの服装は迷彩服の軍服姿ではなく、仕事着の作業服姿だ。
彼らは2度死んだのだろう。
1度目は「気の良い、市井の市民」としての自分を自ら殺さざるを得ず、2度目は「物理的な死」である。

いずれにせよ、動員され、乱暴狼藉に手を汚さざるを得なかった彼ら民兵も、紛争の犠牲者だったのである。







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