1975年3月、プノンペン。ニューヨーク・タイムズの記者シドニー・シャンバーグは、現地記者のディス=プランを助手として取材に駆け回っていた。カンボジアはいま、ベトナムの戦火が飛び火して反政府ゲリラ<クメールルージュ>が台頭し、政府軍と熾烈な戦闘を繰り返している。シドニーは73年の米軍によるニェクロン誤爆事件以来プランと組み、記事を送り続けていたのである。やがて政府軍が劣勢となってくると、アメリカ大使館が撤退を決定。シドニーの計らいでプランの家族を米軍ヘリで脱出させることになるが、プラン自身はシドニーのためプノンペン残留を決めるのだった。そしてついに終戦の日を迎え、平和がやってくる。しかし民衆の笑顔が見られたのはほんの一瞬のことだった。プノンペン入りした<クメールルージュ>が、政府軍関係者からインテリ層に至るまで、見境なく虐殺を開始したのである。そこで、外国人とカンボジア人の受入を開始したフランス大使館に、シドニーとプランはあわてて逃げ込むことになる。そこには記者仲間のアランやジョンたちの姿もあった。しかし4月になり、フランスは大使館内にいるカンボジア人を退去させることに決定。記者であるプランが一歩でも外に出れば、銃殺される可能性が高い。シドニーたちは何とかしてプランを救うため、ジョンの古いパスポートを偽造し、プランを<アンケティル・ブルワー>というアメリカ人に仕立てようとする。しかし大使館が外国人全員のパスポートを回収した際、<アンケティル・ブルワー>の写真が白くなってしまった。アランが撮ったプランの写真の質が悪かったのだ。こうしてプランは、カンボジア人として大使館の外に出されてしまう。シドニーは涙ながらにその姿を見送るのだった。
1976年。アメリカに帰国したシドニーは、人権団体や赤十字に、プランの写真を添付した手紙を何通も送りつけていた。難民キャンプにプランがいれば、きっとレスポンスがあるはず・・・そう願うシドニーだったが、いつまで経っても返信はなかった。サンフランシスコに移住したプランの妻子たちも、すでにプランの生存は諦めている。そんな中、カンボジア内戦のニュースでシドニーは<最高新聞記者賞>を受賞する。この賞が獲れたのは、ひとえにプランのおかげだとスピーチするシドニー。プランの死を受け入れ始めた彼は、悔恨の念に苛まれ続けていた。あのとき、なぜ家族とともにプランをアメリカに送ってやらなかったのだろう。それは、俺がいい記事を書くのにプランを必要としていたからだ・・・
いっぽうその頃、プランの姿は<クメールルージュ>の強制労働キャンプの中にあった。劣悪な環境で肉体労働を強いられ、やせ細ってしまったプランは、ひたすら非知識人のフリをして、寡黙に日々を耐えていた。彼も、この先には死が待つのみであることを察知していた。だがある日、ふとしたキッカケで脱走のチャンスをつかむことに・・・
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『キリング・フィールド』。待望のDVD再発売ってことで、購入いたしました。シャンバーグの原作は、昔角川文庫で読んだのですが、すでに中身は忘れていました。というわけで、映画本編は今回初体験だったのですが・・・
実話は実話なんですが、常々言っているように、映画ならではの演出がキッチリされているのがいいんですよね。導入部のニェクロン誤爆事件は本筋とは関係ないのですが、シドニーとプランの絆の深さを描く上ではその発端をみせるのが大事ですから、決してムダではありません。窓を開けると米軍が展開しているというダイナミックな映像も、実に映画的な演出でしたしね。そしてプランが脱走するキッカケになる「ベンツ少年」の存在。いい伏線でしたよね。
<クメール>を悪く描きすぎて偏見に満ちているとか、カンボジアの真実を描いていないとか、思想屋さんたちには酷評された映画ですけど、素直に感動できる劇映画としては悪くないと思います。<連れて帰りたかったけど置き去りにせざるをえず、再び現地に向かって再会して大号泣>というパターンは、あの「南極物語」と一緒なんですから。
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