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2013年08月20日19:51

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梶原一騎と吉田竜夫。 まんもちゃんのマンガ・アニメ概論 第二部 

インド版『巨人の星』日本逆上陸でニコニコ先行配信、ちゃぶ台返しなるか!?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=95&from=diary&id=2524198

第一部「ガッチャマンとタツノコプロ」から続く
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1908405769&owner_id=980114

☆ 梶原一騎と吉田竜夫。 まんもちゃんのマンガ・アニメ概論 第二部 ★

【第一章 梶原一騎論】

アテクシのご幼少期は、30%の手塚治虫成分と30%の円谷特撮と15%の東映モノと
10%のタツノコプロ、残り15%は梶原一騎のスポコンもので出来ている。



今春、インドでは,『スーラジ ザ・ライジングスター』(Suraj: The Rising Star)
というアニメがヒット中なのだと言う。
ご存知の方も多いと思うが、コレわ『巨人の星』の印度版である。
講談社が、輸出プロデユースして、スズキ、全日空、日清食品等がスポンサーした。
最初日本版の巨人の星と忍者ハットリくんが人気を博していたとこから、
面白いけど野球とゆースポーツがワカらんとゆー印度のお子様のために
クリケット選手としてリメイクされた。流石クリケット人口3億人を誇るお国柄である。
因みにスズキのワゴンを乗り回してるチャラいガキが花形ミツルくんであるw

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さて、「タイガーマスク」、「巨人の星」や「あしたのジョー」の原作者の梶原一騎は、
スポーツ・根性・熱血系の劇画を中心として執筆した劇作家である。
「巨人の星」「あしたのジョー」「夕やけ番長」「愛と誠」など、中高年世代が若い頃に心を熱くし、ブームを引き起こした名作は、いずれも梶原一騎の原作である。
しかし、彼の人生にはダーティーな影がつきまとい、事件・スキャンダルも絶えなかった。

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野球描写は適当なのに、格闘技や社会の暗部の描写は異常にリアルw
梶原による大仰な台詞まわしは高度経済成長時代の昭和の御世の当時でも
カビ臭く古めかしい大正浪漫調の麗句で飾られていた。

セリフが非常に長く、かつまわりくどくなっている。一人称は、ワシ、もしくは俺。
また、「なきにしもあらず」「思わんでもなかった」など、二重否定の肯定が頻出する。
更に、「女にはわからない男の世界」「男の世界のことに明子は口を出すな」などの
ホモソーシャル的な言い回しが多い。また原作では難しい熟語の言い回しが多く、
登場人物のセリフも「この花形にしてもなきにしもあらず」などのように一人称として
苗字を名乗る場合が多いのも彼の文体の特徴であった。
『うおおおお!星よぅ!コノ判宙太、感動したぞぃ!』

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スポーツ劇画ブームを巻き起こした天才漫画原作者の実像、その”スポ根“”熱血”に
表現される純粋な心根と、安っすい偽悪。
純粋すぎて凶暴。梶原一騎を語ると、誰もが平熱ではいられない。
そう、誰しもがその狂気から生み出されるスポ根熱血モノに飛びついた。
ある者は安っぽい熱血モノと蔑み、ある者は敬い、そしてある者は愛する。
中高年以上は、氏の不器用さとか、悲劇性とか、共感できる点が多いのではないか。

梶原一騎に強い印象を持つのは40代後半より上の世代だけだと思うが、
そういえばアテクシもすっかり忘れていたことにも気づかされた
現在では小学生の教師が子供たちには決してやらせない「ウサギ飛び」も
巨人の星のヒットともに「思い棍ダラ」と称して爆発的に流行ったw 
そう、スポコン全盛期の始まりであった。



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【グッド(上向き矢印) 原作の漫画の段階でわ、ちゃぶ台はひっくり返ってはいないw】

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【グッド(上向き矢印)アニメ化にともない表現が誇張され、ちゃぶ台がひっくり返ることになる。】

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【グッド(上向き矢印) 当時、誰しもが真似をした"重い棍ダラw】



【 第二章 梶原一騎と吉田竜夫 】

「ガッチャマン」や「タイムボカン」等の作者で、タツノコ山脈の源流である吉田竜夫と
スポ根ものの梶原一騎とは、一見無関係、なんら接点がなさそうに感じる。

しかし、さにあらず。

昭和30年代の半ば、「チャンピオン太」(「ちゃんぴ・おんた」とは読まない)というマンガを、原作・梶原一騎、画・吉田竜夫というコンビでコラボしているのである。
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太は、「マッハGoGoGo」の三船剛君を筋骨隆々にしたような大東太君が主人公。
昭和30年当時スーパースターであった力道山のところ(日本プロレス協会か)に入門。
来日するほぼ犯罪者のような悪役プロレスラーや国内の空手の名人。
(お師匠様は「姿三四郎」に出てくる檜垣源之助に違いない)などと戦うのである。
当然、太くん、卑怯な手は使わず、正々堂々と戦って日本男児の矜持を見せてくれるのである。もう思いっきり、「少年倶楽部」イズムバリバリの作品で、見ていて愉快になる作品である。

テレビドラマ化もされ、本物の力道山や当時付き人だった猪木寛至ことアントニオ猪木が、
悪役「死神酋長」の役で出てくるお宝ものの作品になっている。

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二人の接点は、「チャンピオン太」以降も、「ハリス無段」という柔道マンガでも続いている。
結構この二人、意外に一番深い根底の部分では、同じ水脈でつながっていたのかも知れない。

当時、梶原より4歳年上の吉田竜夫は、売れっ子の挿絵画家であり、漫画家。
既にこれ以前に「鉄腕リキヤ」という作品で力道山とも面識があり、力道山からも
「吉田先生」と呼ばれていた。
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対する梶原は駆出しの漫画原作者。しかも漫画原作というステイタスどころか、
誰もが何ソレ?状態である。当然力道山は梶原に対してお前誰?の状態だった。 
漫画原作者としての肩書きが付いたのもこの「チャンピオン太」からなのである。

漫画家は、その場で絵を描けば誰もが納得する説明不要の職業である。
梶原は吉田竜夫に羨望に近い嫉妬を覚えた。
ただでさえコンプレックスの塊と言われる梶原一騎である。

吉田は、梶原に無いものを全て持っていた。
背が高い、男前、絵が上手い。おまけにストーリー作りでも
天才的なアイデアを持っていた。

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ある日、新しい柔道マンガでアイデアに行き詰まっていた梶原は、絵を担当する
吉田に相談する。

「梶原くんさー、ソレ「科学柔道」にしたらエエんとちゃう?」
と、こともなく言ってのける。
流石、科学忍法・火の鳥のタツノコ創始者にしてアイデアマン。
後に「科学忍者隊ガッチャマン」を作る男である。

オマケにその科学柔道の理論的指導者名をスポンサーのハリスガムにしてしまう。
「ハリス無段」の誕生であった。 このアイデアは、後にタッグを組むことになる
広告代理店・読売広告社も舌を巻いたw
梶原は、非常に感銘を受け、吉田を漫画界の師と慕うことになるが、
後に吉田は、漫画家からアニメの世界に転進して、梶原は一人漫画界に取り残されて
しまうが、そのノウハウを生かしメキメキと頭角を顕す。

この番組枠のあと番組が、ちばてつやの「ハリスの旋風」である。
後にハリスガムが潰れてカネボウ食品(現クラシエ・フーズ)に吸収合併されたのを機に
「国松さまのお通りだい」にタイトル変更される。

その後も、梶原一騎も吉田竜夫も、どちらも、漫画界、あるいわアニメの世界で
「大衆文学」としての流れを汲む作品を造り続けていった。

どちらの作品も、コアなマニアは寄り付かず、一般的なファンに支えられている。
(漫画専門店でこの手の作家たちのマニア本を見つけるのは、手塚先生の本を探すより難しそうだ。つまり、一般のファンが普通に書店に売られている時に求められる本なのだ。)


でも、1970年代に、それぞれ別の形で「大衆文学」としてのマンガ・アニメを育てたのだから、梶原一騎と吉田竜夫は、やはり偉大な作家なのである。

ちょうどスポ根全盛期時代を迎えようとしていた1960年代後半、吉田竜夫も一本
格闘技モノを作っている。 それが、『紅三四郎』である。


http://www.youtube.com/watch?v=6xYqI8F5vGY
【※ 初期タイトルバックOPは美樹克彦が歌っていたが、あまりにド演歌だったので、現在のアジアの歌姫堀江美都子に変更された。】

当時、広告代理店の読広は、マーチャンダイジングしにくいからやめろと反対したが、
吉田竜夫はこの企画を押し通したと伝えられている。
格闘技が大好きだったかっての戦友梶原一騎に向けての吉田竜夫一流の
エールだったのかも知れない。

これを聞き及んだ梶原一騎は、たいそう喜んだという。

今頃、極楽で力道山も交えて梶原、吉田の3人で豪快にプロレス談義でもしているかも知れぬ。 「科学プロレス・ガッチャマスク!」www

さて今秋、タイガーマスク、伊達直人が実写映画で復活するのだと云ふ。
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東北大震災後、誰かが名乗った「伊達直人」をきっかけに、昭和の世界から
時を越えて蘇ったタイガーマスク。

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アテクシ的に好きな梶原作品を選べと言われれば、迷い無く『タイガーマスク』である。
確かに巨人の星のオズマ篇、明日のジョーのカルロス・リベラ篇も捨てがたいが
やはり、何と言ってもタイガーマスクである。
漫画篇とアニメ篇でラストが違うが、どちらも秀逸なラストである。

漫画編では、最後子供を交通事故から救い、身代わりとなって死ぬ。
死ぬ間際にドブ川に虎のマスクを投げ捨て飽く迄謎の正体を守り死んでゆく。
むしろ、あっけない最後であるが、それもまた梶原らしいリアルに徹した
エンディングであった。
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アニメ編でわ、虎の穴のラスボスを反則上等で完膚無きまでに叩きのめし
去ってゆく。その残虐さは後のエヴァンゲリオン初号暴走シーンを遥かに
凌駕する凄まじさであった。
原作の文字の一言一句さえ変えさせるのを拒む梶原一騎をして、
「う〜む、このラストも有りっちゃぁ、有りだな!」と言わしめた。



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1970年代、梶原一騎と吉田竜夫、どちらも己の信ずる漫画とアニメの
大衆路線を突き進み、漫画の神様手塚治虫をして心胆寒からしめたのだった。



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