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2012年12月21日00:47

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加藤セチ 〜カッポウ着を着た美人科学者〜 【後篇】

■山中教授使用の実験器具展示へ…ノーベル博物館
(読売新聞 - 12月14日 10:33)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2256868

中篇より〜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1885342925&owner_id=980114&org_id=1885466378

【第四章: 終戦と理研の解体。その後の加藤セチ】

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簡単な設計図からでもすぐさま機体とエンジンを作ってしまった横須賀工廠秋水チームですが、
燃料配合に関しては難儀をしており、そのため実験機が飛べないという状態であったのです。
潜水艦に積まれたサンプルが沈んでしまった為、燃料をも独自開発せねばならなかった当時の
研究チームの悩みは、燃料の燃焼熱のため、炉が溶融してしまうことでした。
その問題に対し、加藤セチ博士は、すぐさま
「ヒドラジンの20パーセントを水と交換すること」を提案します。

翌朝、100人近くの海軍飛行工廠の技官が見守る中でエンジンテストが行われ、
燃焼実験は見事に成功しました。これでようやく飛行実験が行えるようになったのです。
濃度80パーセントの水素を酸化剤に、メタノール57%、水化ヒドラジン37%、水13%、という
この最終的な割合は、セチ博士の提案によって日本初のロケット機エンジン呂号機関の
燃料成分は確定されたということになります。
科学の進歩した現在でもロケットエンジンに使用される燃料成分は各国TOPシークレットなのです。

「女風情に飛行機のナニがワカる。ナニが出来る?」と
最初はバカにしていた海軍航空隊横須賀工廠の技官達は感激し、民間の理化学研究所の、
この天才女性化学者を最後は最敬礼で見送ったと伝えられています。

簡単に説明すると、この燃料の仕組みは、前者(甲液:過酸化水素水)の供給する酸素で、
後者(乙液:ヒドラジン)を燃焼させる、というものです。
今も昔も、ロケットエンジン工学は燃料の爆発的酸化、爆発的化合、爆発的燃焼から
発生するエネルギーを制御する技術に他ならないのです。
これは、原子力発電についても同じことが言えます。
いずれにしても燃料の扱いは人体に危険であることに変わりなく、貯蔵は陶器の甕、
そして、扱いは必ず長そで長ズボンで手袋をして行いました。
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実験成功に際し、加藤セチ博士は
「(部隊長は)本件に関する理研の実績は絶大であると誉めてくださいました」
と、これはいかにも女性らしい言葉を残しています。

第二次世界大戦中に日本の航空機開発に女性が参加した希有な事例となっています。

昭和20年(1945)に実際に飛行機が作られ、昭和20年7月に海軍の横須賀基地で初飛行を
飛行士(海軍大尉)搭乗で行いましたが、300m飛んで墜落しています。
『秋水』は横須賀の海軍空技廠から、たった1機、空に飛び立っただけで、
終戦を迎えてしまいました。
海軍や陸軍が加藤セチ博士に燃料分析を依頼するのがあまりに遅すぎました。
せめて一年、いや半年早く加藤博士と秋水が出会っていれば或るいは、、、orzたらーっ(汗)


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【最終章:その後の加藤セチ博士】

かって科学者の天国と云われ、野口英世、北里柴三郎、志賀潔等を輩出した
理研は戦後解体され、原爆研究に関わった仁科芳雄博士は公職を追われました。
また、J8秋水計画に関わった加藤セチ博士の研究業績の大部分は、
加藤セチ博士が戦犯になる恐れから、戦後暫くはひた隠しに秘密にされました。
貴重な研究データの大部分が、米軍の進駐前に焼き捨てられたといいます。

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日本は戦争に負けました。でも、割烹着を着たこの科学者は、負けませんでした。

『 クロロフィルと抗生物質ストレプトマイシンの研究 』
昭和20年8月15日の終戦を迎えた後、加藤はかねてから植物の偉大な光合成の能力に感嘆し興味を抱いていたのでいち早くクロロフィルと炭酸同化作用をスペクトル解析で研究しました。
戦後の極めて悪い食料事情の解決に向けて、先ず炭酸同化作用の解明をしようとしました。
これらは、現在の農芸化学、ひいてはバイオ研究の基になっています。

更に、医薬品分野ではペニシリンの量産化のための解析や抗生物質ストレプトマイシンの
研究も行いました。ストレプトマイシンはそれまで沈殿を硫酸塩として得ていて、実験の度毎に、力価、純度がまちまちで、研究者達は力価を上げるために色々努力していました。
加藤博士はストレプトマイシンを結晶として得ることが出来れば力価の高いものが得られると
考え、試行錯誤で結晶化することを図りました。ストレプトマイシン硫酸塩水溶液に
亜硫酸イオンを混在させ、メタノールまたはエタノールを加えることに依って、
ストレプトマイシン硫酸塩亜硫酸塩として結晶化に成功しました。
これは、現在でも風邪や肺炎、黄色ブドウ球菌などによる化膿止めのお薬として
みなさんが病院で日々処方されているものです。

さて、最後に、われらが加藤セチ博士の研究メソッドについて少し説明しておきます。


【吸収スペクトルとアセチレンの重合】
太陽の光をスリットのようなものに通し、さらにその先にプリズムを置くと、
プリズムを通った光は虹のように、帯状の光の像ができます。
これが、ニュートンが発見した連続スペクトルです。
これに対し、光を放射しない気体、流体、個体に連続スペクトルの光を透過させると、
その透過させた物質に固有の(波長の光が吸収された形の)像が投影されます。
どのような像が投影されているかを分析することで、その物質の正体を知ることができます。
このように光のスペクトルで物質の正体を調べる分野を分光学と言います。
彼女はその先駆者でした。

セチ博士が学位を取った論文のテーマは、この分光学を応用してアセチレンを解析したもので、吸収スペクトルによってアセチレンにベンゼンが含まれるということを実証したものです。
コノ研究成果やメソッドは現在でもペーパークロマトグラフィーやガスクロマトグラフィー等、
あらゆる化学・医学・薬学・食品の開発現場で広く応用され使用されています。

かって、この日本には 決してキュリー夫人にもひけをとらない、
カッポウ着を着た名もない天才科学者がいました。


【加藤セチ(一八九三〜一九八九)】
山形県庄内地方 酒田市三川町出身。理学博士。
http://www.igs.ocha.ac.jp/igs/IGS_publication/journal/7/6.pdf



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