mixiユーザー(id:1512719)

2012年02月04日10:42

44 view

仏教における ”0” (ゼロ)。

仏教における ”0” の理念は、仏教では空、サンスクリット語ではシューニャ (शून्य, sunya) として表現されているらしい。


「空」の仏教的意味は「膨れ上がった」「うつろな」の意味らしいが、膨れ上がった物は中が空であるとの考え方から来ているとの事。

また、仏教では ”0” とは数式上は実在するが、真に実在するものではなく、その真相は空虚であると説いている。




私の理論では、死と誕生の間には ”0” を通過する必要がある。


存在しない点を通過するという事はどういう事なのだろうか?


A、B、Cの一直線上にある地点をAからBからCへと通過する場合。

AからBまでの距離、BからCまでの距離が各々10メートルだとする。


通行人の体の中心点の位置を仮にGという点とした場合。

GとBの距離がゼロになる事はないと思う。

Gは限りなくBに近づき、それを越えた時、Bから遠ざかる。



だが、実際は、GはBを通過して、Cへと向かっている。


存在しない ”0” を通過したと言える。



これは、現実世界にはAやBやCやGという点や、点の集合体である線が存在しない事を示す。

現実世界の点は円であり、点や線は面積を持つ。

いや、面積ではない、2次元も実在しない。

立体である体積を持つのだ。



だから、10−10=0 というのは


理論値という特殊な世界であるな。

個数には対して通用しても、実測値には通用しない。



我々は数学でそう習ったので、疑いを持たないだけだ。



理論的には ”0” は存在しない。

と、いうだけか。



では、死や誕生や輪廻転生が、理論で証明できる訳がないな。

1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年02月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
26272829